ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

誘導分岐編集


概要編集

織田信長が重用したことで知られ、戦国時代、天下人の手を渡り大切にされてきた刀。


南北朝時代に作刀された刀であり、持ち主の変遷から他に「三好左文字」「義元左文字」と複数の号があり、「義元左文字」の名で重要文化財登録されている。無銘であり、刀匠の名は明らかになっていない。


もともとは畿内・阿波国の戦国大名三好長慶の叔父にあたる三好政長(三好宗三)が所持していた刀である。その後、武田信虎から今川義元の手に渡り、義元はこれを愛刀とし大切にしたと伝わる。


桶狭間の戦いにて織田信長が勝利しこの左文字を手に入れる。その際にそれまで太刀として2尺6寸あった刀身を2尺2寸1分までに刃先を磨き上げさせて打刀とし、茎の表と裏にそれぞれ 「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀」「織田尾張守信長」 と刻ませ終生自らの愛刀としたという。


信長が本能寺の変にて死亡後は豊臣秀吉の手に渡り、豊臣秀頼徳川家康と天下人の元に置かれる。徳川家康はこれを愛刀とし、大阪の陣で帯びたといい、これ以降、徳川将軍家の重宝として代々受け継がれていくこととなった。


徳川4代将軍家綱の時代に明暦三年(1657年)の江戸を襲った大火(振袖火事)により火を被るが、幕府はこれを探し出し再刃される。


明治二年に徳川家から建勲神社に奉納され、その後重要文化財指定を受け現在に至る。因みに建勲神社は織田信長を主祭神とし、子の織田信忠を配祀とする。


関連タグ編集

日本刀 織田信長 今川義元

天下一蹴今川氏真無用剣…宗三左文字が作中キーアイテムとして登場するライトノベル

関連記事

親記事

打刀 うちがたな

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 139717010

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました