曖昧さ回避
- 日本刀。本項で説明。
- 刀剣乱舞に登場する刀剣男士。→山姥切国広(刀剣乱舞)
pixiv内での「山姥切国広」タグの使用について
pixiv内では、主にこの刀をモチーフにした刀剣乱舞に登場するキャラクターのタグに用いられている。
概要
安土桃山時代(天正18年)に下野国足利城城主である長尾顕長のために刀工堀川国広が作刀したもの。刃長70.6㎝。
堀川一門が作成した物を「堀川物」といい、その堀川物の内の一つ。
堀川一門の祖である国広の最高傑作とされる。
茎に刻まれた銘と作刀時期、その姿から、長尾顕長の所持していた備前長船長義の刀を写して作ったものではないかと云われる。
国広は打った刀の茎に詳細な記録を残す刀工で、これも歴史資料として貴重な一振りである。
1962年6月21日に重要文化財に指定。
現在個人蔵。
銘
九州日向住国広作
天正十八年庚寅弐月吉日平顕長
山姥切の号について
山姥切。あるいは山姥切国広。
文化庁のデータベースには「山姥切のいわれは不明」と記載されているが、記録上での山姥切国広の初出である杉原祥造氏のとった押し形にはその逸話と来歴が記載されている。
山姥切の号はこの刀自体に逸話があるという説と、この刀の本歌とされる長義の刀こそが山姥切であり、その写しである為にこちらも山姥切と呼ぶとする説がある。
しかし、国広が山姥切と呼ばれている記録は大正9年、長義のそれは昭和37年と、記録上での号の初出は国広の写し刀の方が古い。
長義の刀が逸話の持ち主説に関しては、本歌とその写しなら逸話があるのは本歌の方だろうという思い込み、「妖怪退治みたいなファンタジーな逸話を持つのは古刀」というのがセオリーであり新刀に分類される国広の刀にそんな逸話がある事自体考え難い事、杉原氏のとった国広の押し形に書き添えられた山姥切の逸話や来歴のメモ書きが紙のあちこちに分散して書かれている為それと知らないと逸話や来歴が書かれていると気づかずスルーしてしまう事等が考えられる。
なお、徳川家の記録には購入時に添えられていた折紙も含めて本歌に山姥切の逸話に関する資料は一切ない事が、本歌及び徳川家の資料を所持している徳川美術館によって明らかにされており、入手以前から号があれば刀の価値が上がる事からまず間違いなく御腰物帳に記載していただろうとして、徳川美術館は号は国広の刀のものではないかとしている。
徳川家の記録に無い号が本歌の登録の際に書かれることは当然無い為、文化庁に「山姥切」として登録されている刀も、この国広の刀みである。
来歴
昭和3年刊行の「新刀名作集」に掲載された、大正9年に刀剣研究家の杉原祥造氏がとった押し形に書き添えられていた文章によると
- 北条家の浪人石原甚五左衛門が身重の妻を連れて信州を通った際、妻が産気づいたので谷間に住んでいた老婆に妻を預けて薬を探しに出かけ、戻ってみるとそこには赤子を食べる老婆と泣いている妻の姿があった。石原甚五左衛門は怒りのままに老婆を切りつけ、逃げた老婆を追いかけ斬り伏せた。これをもって刀に山姥切と名付けた。
- その後、関ヶ原の戦いにて井伊家に陣借りして働かんとしていた所、井伊家の家来渥美平八郎が刀を折ってしまい困っていたのでこの刀を譲った。石原家と渥美家は共に3~400石を賜り井伊家の足軽大将を務め、明治維新まで仕えた。
- 渥美家が困窮し、彦根長曾根の醤油屋にこの刀を質入れしたが金を返せず、質草だった刀は同じ彦根藩士である三居家が請け出した。
- この話は三居家の翁から直接聞いた。
との事である。
なお、杉原氏が押し形をとった際の山姥切国広の持ち主がこの三居家の者であると思われる。
来歴に名前が登場する人物らは彦根藩の資料に名前が載っている実在の人物であり、当時の身分や所在とも合致する為、正確性は非常に高いと思われる。
これ以降の来歴に関しては諸説あり、矛盾に近いものや現在では完全にデマとなったものも幾つか見られる。
- 三居家以降はいつの間にか井伊家にあり、大正9年の杉原氏の押し形も井伊家でとったもの(※但し、押し形には前述の通り三居家翁から直接聞いたという記述がある)。
- 関東大震災で焼失(※後に再発見にて現存が確認されたが、それまでは焼失が長年通説とされていた)
- 震災前に井伊家の旧臣の家の者が貰って仕舞い込んでいたが、子孫が井伊家に買取を求めたことで現存が発覚
- 元の持ち主かあるいは刀の譲渡先である再発見者が、当時周知の事実とされていた井伊家ゆかりの品という話を信じ事実誤認しただけで、押し形の記録と再発見時の元の持ち主の所持期間的に前の持ち主は三居家で、刀はずっと三居家にあった。
等である。
なお、現在は国広の刀が山姥切の逸話の本来の持ち主であるという説を含め有力とされているものがいくつかあるが、焼失したと考えられていた山姥切国広が実際は現存していたように、今後新たに資料が出てこないとは限らず、通説が覆される事はありうる事である。