現在まで脈々と続くボーイング社の7X7シリーズの始まりであり、ダグラスDC-8やコンベア880と並ぶ第1世代ジェット旅客機を代表する機種でもある。
また、E-3やE-8などの軍用機のベースになった他、兄弟機としてKC-135がある。
日本の航空会社では採用されていないので馴染みが薄いが、1958年10月の路線初就航から1991年の製造終了まで軍用も含めて1000機以上が製造された。初号機の就航から50年以上経過する現在でもプライベートジェットや貨物機などで運用されている機体が存在する。
歴史
今でこそ旅客機メーカーとして名高いボーイングだが、当初は爆撃機などの軍用機には強くても旅客機業界ではダグラスやロッキードに大きく水をあけられていた。
第二次世界大戦後もしばらくそれは全く変わらず、その状況を打開する一発逆転の切り札として、軍用への転用も想定したジェット旅客機をプライベートベンチャーで開発する事になった。
1950年代は、世界初のジェット旅客機デ・ハビランド コメットが鳴り物入りで登場したものの、度重なるトラブルで信用が地に落ち、ジェット旅客機は時期早々という声まで上がり始めた。
そんな中でジェット旅客機を開発するのはまさに大賭け事であったが、「近い将来軍・民ともにそれらを必要とするであろう」という揺るぎない信念の元、開発が始まった。
こうして誕生した原型機367-80(通称「ダッシュ・エイティ」)は、1954年7月15日に初飛行。
このダッシュ・エイティは、当時軍が早急に欲していた空中給油機KC-135としてまず採用され、そして胴体幅を広くした旅客機型が707となった。
乗客数も巡航速度も標準的なプロペラ機や初期型コメットを大幅に凌駕する性能はもちろん、コメットの教訓から入念な安全対策が図られ、さらに初の大西洋横断飛行を果たしたチャールズ・リンドバーグをアドバイザーとして招聘し、最初から大西洋無着陸横断が可能な仕様で設計された事で、707はデビュー前から圧倒的な人気を集め、リンドバーグが顧問を務めるパンアメリカン航空を皮切りに、たちまち多くの航空会社から受注を獲得した。
こうして、1958年10月から就航を開始した707は、遅れて登場したライバル機のDC-8と並んでたちまち世界中の航空会社で運行されるようになり、旅客機のジェット化に貢献。そして、ボーイングを世界規模の旅客機メーカーに成長させる大きな原動力となった。
機体の特徴
客席数は、当時としては大きな部類であった170~200席程度、エコノミークラスで3+3配置。小さくしたキャビン窓をたくさん並べて座席をどのような間隔で配置しても窓なしの座席が生じないようにしたのは旅客機では初めてで、以後の旅客機の標準となった。
操縦システムには、油圧式ではなく信頼性を考慮して人力による操縦装置を採用したが、片側のエンジンが2つ止まると人力では操縦できなくなる問題があったため、油圧式操縦装置の採用と垂直尾翼・方向舵の面積拡大により改善された。
当初は燃費の悪いターボジェットエンジンを搭載していたため、大西洋横断も1、2回給油が必要でせっかくの速度を活かせなかったが、ターボファンエンジンを装備した707-320型は燃費が改善されて条件次第では太平洋無着陸横断も可能になり、707の決定版となった。
他にもバリエーションとして、イギリス向けにロールスロイス製エンジンを搭載した707-420や、胴体を短くした短距離型ボーイング720(正式には707-020)などが存在する。
後発のDC-8と比べると主脚が短いために長胴型が作れなかった事、胴体が太いために空気抵抗が大きく航続性能がやや悪いなどの難点はあったものの、広いキャビンの快適さと大きな搭載量は多くの顧客から支持されたのは言うまでもなく、軍用機のベース機としても人気だったのも頷ける。