ルーツはダッシュ・エイティ
1950年代、冷戦のよる軍拡競争が激化する中でアメリカ空軍はB-47やB-52といったジェット戦略爆撃機の配備を開始。
しかし、ソビエト奥深くに侵攻して核爆弾を投下するには、空中給油機の支援が不可欠であった。
とはいえ当時の空中給油機は、かのB-29の改造機KB-29や、そのB-29から生まれたC-97の改造機KC-97などのレシプロ機しかなく、ジェット爆撃機と編隊を組んで空中給油するには、全速力で飛んでやっと失速ぎりぎりの相手に追いつける程のノロさ。これでは給油するジェット爆撃機が危険すぎる。
爆撃機がジェット化していく中で、空中給油機も早急なジェット化が必然なのか明らかであった。
そんな所で白羽の矢が立ったのが、当時ボーイングが開発していたジェット機367-80であった。
通称「ダッシュ・エイティ」と呼ばれた367-80は、軍民両用のジェット輸送機を狙って開発された機体である。
プロペラ旅客機全盛時代の当時において、ジェットはまだ早すぎるという見込みが強い中でのジェット輸送機開発は一か八かの大賭け事であったが、ペーパープランしか存在していなかった他社に対して「唯一実機を作っている」という点が大きなアドバンテージとなり、早急に実用化できると見込まれ、空中給油機として見事に採用を勝ち取ったのである。
こうして誕生したKC-135Aは、1956年7月20日にロールアウト。奇しくもそれは、先任のKC-97最終号機のロールアウトと同じ日であり、プロペラからジェットへと変わる時代の流れを感じさせる出来事となった。
KC-135は732機が生産され、そこから給油装備を外した輸送機型C-135へ、それがさらに現在でも活躍するRC-135などへと派生していく事となり、それらを含めた総生産数は820機になる。
そして、胴体を少し太くした旅客機として誕生したのが、兄弟機ボーイング707であり、こちらもベストセラーとなった。ややこしい事に、このボーイング707も何か国かの軍隊にて空中給油機に改造されている。
なお、社内でのモデル名は「ボーイング717」であったが、一般には認知されていなかった事もあって、およそ40年後に吸収合併したマクドネル・ダグラスから引き継いだ旅客機の名称に再利用される事となる。
構造
尾部にフライングブームと呼ばれる長い給油パイプを装備しており、これを給油対象の給油口に差し込んで給油を行う。
先端にはV字の尾翼がついているが、これはブームを上下左右に動かすためのもの。普通に根元から動かせばいいだろうと思うかもしれないが、飛行機が姿勢を変える原理と同じようにしないと、気流の中でうまくコントロールできないのだ。
このブームを操作する乗員はブームオペレーター、略して「ブーマー」と呼ばれ、ブームの根元に設けられた専用の席でうつぶせになりながら操作する。
ブームの先端にアタッチメントを装着すれば、アメリカ海軍が採用しているプローブ&ドローグ式の機体にも給油が可能(新造機を唯一購入したフランスではこの状態がデフォになっていた)。
ただし当然その間はフライングブームとして使用する事はできないため、後に主翼にプローブ&ドローグ式給油ポッドを追加装備した機体もある。
また、マッハ3の偵察機SR-71の専用燃料JP-7に対応したKC-135Qも存在した(普通の燃料だけ扱う事も可能)。
なお、輸送機としても使用でき、機内の広さを活かして(ブームを残したまま)通信中継やVIP輸送に活用された事もある。とはいえ、キャビンへ入るドアが貨物ドアしかないため、乗客も貨物ドアから入らなければならないというちょっぴり不便な所がある。
2つの改良型
KC-135はベトナム戦争で戦闘機や爆撃機などへの空中給油で大活躍するが、終戦した頃にはさすがに機体の老朽化が気になり始めた。
しかしこの頃新たに登場したKC-10エクステンダーはコストが高く機体規模も違いすぎて、KC-135を全部置き換えられるものではなく、今後もKC-135を使い続けなければならない。
そこで、主翼の外板を張り替える一方で、延命と更なる性能向上のためのエンジン換装が施されていく事になる。
まず登場したのが、州兵や予備役部隊向けのKC-135E。
ただしこれは、航空会社から退役していった兄弟機ボーイング707から取り外した「おさがり」のJT3Dエンジンをもらって装備した小規模なものにすぎず、性能こそ向上したものの燃費などの面では相変わらず古臭さはぬぐえず、現在は退役している。
しかし続いて登場した第一線部隊向けのKC-135Rでは、後にボーイング737やエアバスA320シリーズにも採用されるCFM56エンジンに換装されて燃費が大幅に向上し、燃料搭載量も増加した事で給油能力は50%も向上。
さらにブレーキや油圧・電気システムも新しいものに取り替えられ、新造機同然に生まれ変わったといっていい機体となった。
現在ではこのKC-135Rが主力となっており、沖縄に配備されているのもこれ。
この改修によって、2020年頃までは運用可能とされたが…
100年は飛ぶ事になりそう?
冷戦が終結してもKC-135は、戦争時・平時問わず戦闘機や爆撃機の支援に活躍し続けている。アメリカ軍が行くところにほぼ必ず姿を見せているといってもいいだろう。
また、軍縮によってKC-135にも余剰機が発生したため、トルコやシンガポール、チリにも供給された。
この頃には、いい加減オンボロのKC-135を更新しなければならないとアメリカ空軍も考え始め、KC-X計画を発動させる。
しかしこのKC-X計画、いろいろごたごたがあって混乱しなかなか進まず、ボーイング767をベースにしたKC-767が「KC-46ペガサス」として採用されたのは、計画開始から16年も経った2010年の事であった。
KC-135は今もまだ400機近くあり、後継機を決めた所ですぐに全部置き換えられる訳ではない。
しかも、KC-46はとりあえず179機調達される事になったものの、予算の制約からこの調達数は減らされる見込みとなり、そもそもKC-46自体いろいろと問題が山積みで先行きは不透明な状態。
よって、KC-135をさらに40年飛ばせるように延命改修して使い続ける事が決定し、登場から100年経った2050年代も飛び続ける事が確定した。
アメリカほど大量に装備していないフランスやシンガポールでは、より大型のエアバスA330MRTTで置き換えられて退役し、空中給油を請け負うアメリカの民間軍事会社「メトレア」社に払い下げられたが、アメリカ空軍からKC-135が消えるのはまだまだ先の事になりそうである。