概要
1971年10月から1994年3月まで(ただし実質1992年10月まで)、3世代にわたって製造・販売が行われた。
もともとは(当時発売していたスバルff-1との兼ね合いから)クーペモデルしか発売されなかったが、1972年4月にセダンとライトバンが追加された(これによりff-1は廃止)。その後1973年6月にはハードトップが追加された……クーペがあるのに何被る車種追加してるんだ?
だが何と言ってもこの車、世界初の(量産)四輪駆動乗用車が追加されたことでエポックメーキングな車種である。1972年8月にライトバンに追加されたのがそれ。さらに1975年4月には4ドアセダンにも追加されている。
とにかくモデルの寿命が長く、初代と3代目は8年も持たせてしまった。2代目(メインイラストも参照)は5年とやや短いものの、4年でフルモデルチェンジは当然とみられていた1980年代当時の日本車にしてはやや長寿であった。ただし、スバルでは短い方である(当時のスバルのモデルチェンジサイクルは2ケタが普通)。
また、下手に四輪駆動車(四駆)の評判が良かった上、よそのメーカーも前輪駆動(FF)車を続々と売り出すようになった事もあり、2代目と3代目は「あれ? FFあったの? てっきり四駆だけかと思った」と勘違いされることも少なくなかったという。おいおい、日本におけるFFの元祖はスバルだろ。……ホンダだよ馬鹿野郎。
2代目のラインナップはセダンとライトバンのほかに「スイングバック」と呼ばれた3ドアハッチバック、さらにはステーションワゴン、3代目はセダンとライトバンおよびステーションワゴンに加えて3ドアクーペが設定されている。
レガシィとか言う、文字通り「後世に受け継がれてゆくもの」が現れたため、1989年以降は安売り仕様の「マイア」シリーズとライトバンのみとなった。なお、マイアは、プレアデス星団(別名昴。もちろん「スバル」の元ネタ)の中の星の名前のひとつだったりする。
その後1992年10月にインプレッサが現れたことで「マイア」シリーズが廃止される。そして1994年3月、ライトバンの生産・販売を打ち切ったことで、23年の歴史に事実上幕を下ろした。
- 実はインプレッサは“4代目レオーネ”という前情報があったが実現しなかった。本当にスバルは商標を大切にしない会社である……対象的なのが修ちゃんのとこ。
なお、名称そのものは日産ADの富士重工バージョンとして2001年まで使用された。
逆に3代目のライトバンに関しては、いすゞディーラー(いすゞモーター店およびそれがない地域のいすゞ店)でも「ジェミネット2」の名前で売られていたことがある。