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レオーネ(スバル)

すばるれおーね

富士重工(スバルブランド、現・SUBARU)の(過去の)自動車ラインナップのひとつ。

概要編集

1971年10月から1994年3月まで(ただし実質1992年10月まで)、3世代にわたって製造・販売が行われた。

野生の響き

もともとは当時発売していたスバル1000~ff-1との兼ね合いから、クーペ(実質的にはサッシュレスドアのピラードハードトップ)モデルしか発売されなかったが、1972年4月にff-1からのモデルチェンジというカタチでセダンとエステートバン(ライトバン)が追加された。その後1973年6月にはピラーレスの2ドアハードトップが追加された。

スバル レオーネ

レオーネは世界初の(量産)四輪駆動乗用車が追加されたことで知られる。1972年8月1日にエステートバンに4WDを追加した。

前年に東北電力からの依頼を受けて生産した「1300Gバン4輪駆動車」から得た経験を活かし、世界で初めて「ジープタイプではない4WD」を世に送り出した。

※先の1300Gバンの方は、メーカーのヘリテージコレクションにおいて世界でたった1台しか残っていない…。

さらに1975年4月には4ドアセダンにも4WDが追加されている。円谷プロダクションが手掛けた特撮ドラマ『緊急指令10-4・10-10』において、クーペと4ドアセダンが毛利チームの車両として登場した。

またクーペにはGSRをベースにしてワイドラジアルタイヤと4輪ディスクブレーキで武装し内装は簡素でスパルタンなRXも追加され、末期にはグレード名を変え(RX→RX/A)、さらには排気量アップ(1400cc→1600cc)でエンジンを換え、熱線リアウィンドウ・間欠ワイパー・ラジオ・時計等の必要最小限の装備を充実させながらもホットモデルとして生き続けた。

※1000~FF-1から受け継いだ美点の一つにエンジンルームへのスペアタイヤの搭載があり、これによりセダン&クーペのトランクルームやエステートバンのラゲッジスペースの拡大の恩恵があった。だが前期型RXのみワイドラジアルタイヤ故にスペアがエンジンルーム内に収められず、やむなくトランクルームにドカ置きにされた(これはカタログにも注意書きが記載されている)。故に後期型RX系を含むスーパーツーリング・グランダム等のツインキャブ搭載車はビッグマイナーチェンジによりエンジンルームが拡大されエンジンルームへのスペアのワイドラジアルタイヤの搭載が可能になった。


なお、初代のイメージキャラクターは、初期は尾崎紀世彦(サビで商品名を絶叫しまくったCMソング「どこから来たのかおまえと俺」と「いまここに」の歌唱者でもある)、中期は『少年探偵団』の怪人二十面相、末期は太地喜和子および西郷輝彦


とにかくモデルの寿命が長く、ビッグマイナーチェンジでボディ拡大を敢行した初代と地道な3代目は8年も持たせてしまった。2代目は5年とやや短いものの、4年でフルモデルチェンジは当然とみられていた1980年代当時の日本車にしてはやや長寿であった。ただし、スバルでは短い方である(当時のスバルのモデルチェンジサイクルは2ケタが普通)。


また、4WDの評判が良かった上、他のメーカーも前輪駆動(FF)車を続々と売り出すようになった事もあり、2代目と3代目は「あれ? FFあったの? てっきり四駆だけかと思った」と勘違いされることも少なくなかったという。余談ながら日本におけるFFの元祖は1955年発売のスズキスズライトである。

また1000~ff-1での美点にして弱点だったコストや整備性の兼ね合い等で開発された初代に対し賛否両論だったが、オイルショック・排ガス規制等に翻弄されながらも排気量アップの上で独自の技術で先に述べたRX&スーパーツーリング系を中心に規制をパスし無鉛レギュラーガソリンが使えるツインキャブ車を残し走り屋にも歓迎される等4WD共々技術力の高さは常に健在だった。

ただしモデルライフが長かったことや、4WDに特化したこの特色が皮肉にも「田舎っぽい」・「雪国の車」・「垢抜けない」といったマイナスのイメージに繋がってしまい後期の販売台数は伸び悩み、後継のレガシィの登場までスバルは低迷期を迎えることとなる。


富士重工 レオーネ イラストSubaru Leone(Jordan)

1979年6月にモデルチェンジされた2代目のラインナップはセダンとハードトップ、エステートバンのほかに「スウィングバック」と呼ばれた3ドアハッチバック(メインイラストも参照)、さらには「ツーリングワゴン」と呼ばれたステーションワゴン、1984年7月にモデルチェンジされた3代目はセダンとエステートバンおよびステーションワゴンに加えて3ドアクーペが設定されている。

しかし後期型はフルタイム4WD化の出遅れの上に、過去にラリーカーの実績があるライバル車達がパワー競走による付加価値としてDOHCターボで武装して追い上げていき一気に分が悪くなっていった…。


1980年公開の映画「キャノンボール」では、ハイテク装備を搭載したスウィングバック4WD(北米向け仕様がベース)がジャッキー・チェンマイケル・ホイ扮するアジア人チームの参戦車として登場している。


また、2代目のイメージキャラクターを歌手岩崎宏美(「万華鏡」と「女優」「すみれ色の涙」がCMソングに採用)→読売ジャイアンツ入団当初の原辰徳が務め、テレビCMでは岩崎・原の共演もあった。


1989年1月に、スバルの看板車種となるレガシィが現れ、同年以降は低グレード車をベースとしたお買い得仕様の「マイア」シリーズとエステートバンのみとなった。なおマイアは、プレアデス星団(別名昴。「スバル」の由来)の中の星の名前のひとつで、1960年発売のスバル450の輸出名にもなった。


その後1992年10月に後継車種となるインプレッサが現れたことで「マイア」シリーズが廃止される。そして1994年3月、エステートバンの生産・販売を打ち切ったことで、23年の歴史に事実上幕を下ろした。

  • 実はインプレッサは“4代目レオーネ”という前情報があったが実現しなかった。ただし、イスラエルでは初代インプレッサについては発売当初は「グランドレオーネ」と名乗っていた。

なお、名称そのものは日産ADの富士重工バージョンとして2001年まで使用された。


逆に3代目のエステートバンに関しては、いすゞディーラー(いすゞモーター店およびそれがない地域のいすゞ店)でも「ジェミネット2」の名前で売られていたことがある。


関連項目編集

富士重工業

しし座:車名の由来

村上春樹:長編小説『ダンス・ダンス・ダンス』における、主人公の愛車

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