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フロンテ

ふろんて

フロンテとは、かつてスズキ株式会社が製造・販売を行っていた軽四輪自動車の名称の一つである。
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概要編集

1962年3月から1988年10月まで製造・販売が行われたスズキの軽四乗用車。キャリイと共に20年近く自動車メーカーとしてのスズキを支えたが、アルトにその座を譲るハメになり、最終的にはそのアルトに吸収される形で姿を消した。


名前の由来はフロンティアスピリッツから。確かに富士重工業スバル360)以前に軽自動車に取り組んだメーカーは、スズキ以外は皆姿を消してしまった(または会社は残ってはいるが軽自動車事業継続を断念)事を考えると、宜なるかな。


歴代モデル編集

前史編集

スズキは1955年10月にスズライトSLで自動車に進出した。このスズライトSLは3人しか乗せられなかった(しかも3人目用の椅子は非常用と言っても過言ではなかった)が、当時としてはあまりにも異例であったFFを採用していた。また、これと並行する形でピックアップトラックのSPや2ドアセダンのSSも設定され、さらには発売開始から1ヶ月でSLのリアのデザインを変えたデリバリーバンのSDも販売されたものの、1957年5月にこれら3車種は廃止された。1955年時点での高校卒業の公務員の初任給が5900円の時代にスズライトSSの価格は440000円だった・・・・・・・確かに誰でも買えるようなものではない。


何とか生き残ったスズライトSLは1959年7月スズライトTLに進化。定員は4人に増え、ようやく乗用車としての実用性を備えるようにはなったが、なにぶん本来は貨物自動車であったため後席の方はどうだったかと言われると・・・・・・・

だがイギリスBMCミニを思わせるモダンなデザインゆえ、大人二人が充分座れる後席が求められた。

それに応えるべく、スズライトSLの8ナンバーバージョン(当時の軽乗用車は8ナンバーだった。ちなみに軽商用車は6ナンバー)が登場することになった。それが初代(スズライト)フロンテであった。


初代編集

かくして1962年3月に初代が登場した。スズライトSSのリベンジを図り、スバル360マツダキャロルに真っ向勝負を挑んだものの、これらの牙城を崩すことは出来なかった。


2代目編集

1967年4月に登場。スズライトSL(やSS)から守り続けたFFを捨てRRに転換、丸みを帯びたボディデザインはコークボトルラインという愛称が付けられた。

イギリスの元F1パイロットであるスターリング・モスと、マン島TTレースでクラス優勝を遂げたことがある伊藤光夫のコンビでミラノ-ローマ-ナポリ間高速走行トライアルを実施したことがある。


3代目編集

1970年11月に登場。2代目とは打って変わって直線基調のデザインとなった。

1971年5月には水冷エンジン仕様車も登場。同年9月にはクーペも設定された。なお、クーペは元から水冷エンジン搭載車のみである。

1972年4月には2人乗りしかなかったクーペに4人乗りを設定、同年10月にはセダンはフロントのデザインを大幅に変更し、クーペは2人乗りを廃止した。


後述の4代目登場後もクーペについては1976年8月まで製造されていた(販売は同年9月で終了)。


4代目編集

1973年7月に登場。丸みを帯びた、ふっくらとしたデザインとなった。

史上初めて4ドアが設定された一方、空冷エンジン車が消滅している。


スズキは自動車用のエンジンは長らく2サイクルのみであった。1972年に初めて4サイクルエンジンを開発したものの、その4気筒・800ccエンジンはジムニーの輸出向け用であり、日本国内には投入されなかった。

だが、2サイクルエンジンでは年々厳しくなる排気ガス規制に対応出来ない危険性が出てきたため、件の4サイクル4気筒エンジンを3気筒にすることで対処しようとした。

だが開発に手間取ったらしく、そのエンジンが完成するまでのピンチヒッターとして、ダイハツから4サイクルエンジンを購入、このフロンテに搭載したのだった。むろん4サイクル3気筒エンジン(F5A型)が完成したことでこの変則体制に終止符が打たれたのだが。

なお、モデルサイクル中盤に当たる1976年5月にフロンテ7-Sと言う名前を名乗っている。


5代目編集

1979年5月に登場。駆動形式がFFに戻った。名称もフロンテに戻っている。

アルトとの兼ね合いから、4ドア(+ガラスハッチ)のみの設定だった。

1981年5月、スズキの伝統とも言えた2サイクルエンジン搭載車が廃止された。

1982年10月にはヘッドライトの形を丸形から角型に変更している。

1983年12月からは800ccエンジン搭載車がインドで生産・販売を開始した(マルチ・800名義)。


6代目編集

1984年9月に発売開始。インド市場でも1986年1月から2代目のマルチ・800として販売が開始された。

はっきり言って、2代目アルトの5ナンバーバージョンでしかなくなった。


1988年9月に製造・販売を終了、26年半の歴史に事実上幕が下ろされた。

ただしインド市場では2014年まで製造・販売が行われている。


バン仕様編集

フロンテが2代目に代替わりする際、RRに転換したが、荷物を載せるバンには向いていない、と言うことから、キャリイ同様FRとした(むろんプラットホームは異なるが)。


1969年1月にスズライトSLの後継車種として、フロンテバンという名称で初代が登場、後にその8ナンバー版であるフロンテエステートが追加された。

1973年に2代目が登場。フロンテハッチと改名したが、8ナンバー(5ナンバー)版については、フロンテに4ドアが設定されたこともあってか設定されなかった。

1979年にアルトにバトンを渡す形で姿を消した。


追記編集

1988年10月に、7代目にあたるモデルが登場したものの、物品税廃止・消費税導入で軽ライトバンの税制上のメリットが薄くなることが明らかになってしまったことから、すでに高いネームバリューのあるアルトへの統合がほぼ決まっていた。ゆえにそれまでのつなぎとしてあえて登場させたものであった。

そして1989年4月の消費税投入に伴い、アルトに吸収されたのであった。


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