石堂淑朗
いしどうとしろう
石堂淑朗とは日本の脚本家、評論家である。
概要
1932年7月17日広島県に生まれる。
学制改革期に共学化に反対して高校を2年で中退し、大検に合格して1年早く広島大学に入学。
しかし、そこも中退して東京大学文学部独文学科に入学した。
東大では種村季弘、吉田喜重らと知り合い同人誌を刊行し、卒業後は松竹大船撮影所に入社して助監督として働いていた。
1960年には『太陽の墓場』で脚本家デビューし、大島渚らと「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる映画革新運動の中心的役割を果たしていたが、大島との共同脚本である『日本の夜と霧』は安保闘争をテーマにしていたので、松竹が無断で上映を打ち切ったために1961年に退社し、大島主宰の「創造社」の同人となった。
1965年以降は大島と決別し、フリーの脚本家として多くの映画やテレビドラマだけではなく、特撮作品の脚本をいくつも担当。
2期ウルトラシリーズ初期には他の脚本家と同じくSF的な設定の脚本を書いていたが、発想が飛躍しており徐々に妖怪などが怪獣として登場する土俗的なテーマの作品にシフトしていった。
また担当回では何故かウルトラマンがバラバラにされたり、巨大な女性が登場する場合が多いとファンの間では話題になっている。
なお、ウルトラシリーズで有名な実相寺昭雄とは友人であり、初映画監督作品にしてロカルノ国際映画祭で金豹賞を受賞した『無常』をはじめとした映画脚本をいくつも担当している。
またテレビドラマや映画に俳優として出演することもあった。
後進の育成にも務め、同じくウルトラシリーズを担当した阿井文瓶や清水崇を指導している。
2011年11月1日に膵臓癌で死去。