木村拓也
きむらたくや
来歴
高校時代は遠投120メートル、HR35本の強肩強打の捕手として鳴らした。
その後、1990年にドラフト外で日本ハムファイターズに入団し、達川光男に見初められて1994年オフにトレードで広島に移籍すると、スイッチヒッターに転向して、なおかつ内外野全て守れる便利屋として活躍する。
このまま広島で現役を終えると思いきや、2006年シーズン中に突如トレードで放出され巨人に移籍。最初は出番が無いと自分でも思っていたらしいが、すっかり参っていた巨人を二塁手として支え、後の巨人の三連覇にも貢献した。
上述のとおり内外野の全ての守備を可能とし、元々は捕手であったことから2009年9月4日には延長戦で負傷退場し、捕手登録枠が無くなったところで10年ぶりにマスクをかぶり、豊田、藤田、野間口とバッテリーを組み、その回を三振二つと外野フライで無失点に抑えた。捕手経験者では小笠原道大もいたが、木村以上にブランクが長いうえ、膝に不安があったので、実質木村しかいなかった。また、2004年のアテネ五輪の時に代表選手に選ばれていたが、その際にブルペンキャッチャーを駆って出ているため、実質的には5年ぶりということになる。なお、高校時代には投手も経験している。
普段から捕手、一塁手、内野手、外野手と4種類のグラブを持ち歩いている。
本人いわく、センターラインから左方向の守備は苦手らしい。
名前がSMAPの木村拓哉と同姓同名で、さらに同い年でもあり、テレビ番組で対談するなどお互い面識もあった。なお、その日の対巨人戦で工藤公康からホームランを打っている。
自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。
それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。
「レギュラーになる、エースになる」だけではない。