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車持皇子の編集履歴

2019-09-21 21:39:04 バージョン

車持皇子

くらもちのみこ

車持皇子(くらもちのみこ)は、『竹取物語』に登場する5人の貴公子のひとり。「庫持皇子」とも表す。

概要

車持皇子(くらもちのみこ)は、『竹取物語』に登場する5人の貴公子のひとり。「庫持皇子」とも表す。


表記

最古の写本である伝後光厳天皇宸筆断簡、流布本共に「くらもちのみこ」。他、古本に「くらもりの御こ」など。


系譜

不明。天皇家にこのような名前の皇子はいないため、架空の人物と思われる。ただし、5人の貴公子のうち3人までが実在のため、車持皇子も歴史に埋もれている実在人物か、または既知の実在人物の別名の可能性がある。


モデル

江戸時代の国学者加納諸平は元明朝の右大臣藤原不比等を挙げている(不比等の母は車持氏)。不比等は皇子ではないが、天智天皇の落胤との説もあり、むしろ平安時代にはその説が優勢であった。


また貴公子たちは仲哀天皇や神功皇后に仕えていた武内宿禰と四大夫(まえつきみ)がモデルともされる。石作皇子を除き、「大伴御行」は大夫「大伴武以」の子孫、「石上麻呂」は大夫「物部胆咋」の子孫、「車持皇子」を「藤原不比等」に疑すなら大夫「中臣烏賊津」の子孫、「阿部御主人」は海人族に所以があり大夫「三輪大友主」に通じ、「武内宿禰」は「竹内宿禰」とも書かれるため、竹に通じる。これら重臣が仕えた神功皇后を迦具夜比売命に比定する説があり、曽祖母は竹野媛で、この媛が丹波国・但馬国の竹別氏の出自であったことに繋がる。迦具夜比売命の叔父に讃岐垂根王がいることは、竹取翁の名が「讃岐の造」とされることに関連する。


経歴

『竹取物語』では、かぐや姫から自分と結婚する条件として、東方海上にあるという「蓬莱の玉の枝」を取ってくるようにいわれるが、彼は出航せず、綾部内麻呂ら職人たちにそれらしきものを作らせ、帰航を偽装してこれをかぐや姫に献上。更にはこの蓬莱の玉の枝を手に入れるのにいかに苦労したか、その末にたどり着いた蓬莱の山がいかに美しい景色であったかといったような法螺話をそれらしくでっち上げて語った。


それを聞いて法螺話とは知らずに感動した竹取翁は玉の枝を本物だと思い込み、寝床の支度まで始めるが、職人たちが玉作りの報酬をもらっていないと訴え出たために偽物と判明、かぐや姫はただちにこれを返品し、職人たちには褒美を与えた。車持皇子は職人たちを逆恨みし、血が出るほどお仕置きしたという。


東方永夜抄との関係

永夜抄のストーリーは竹取物語が元ネタとなっており、蓬莱山輝夜はかぐや姫が元ネタ。対して藤原妹紅は車持皇子(藤原不比等説に因る)の娘という設定になっている。


竹取物語中で車持皇子が恥をかいた後、かぐや姫が月へ帰ることとなる。姫は求婚され内心愛しく想っていた帝に「不死の薬」を託して月へ帰ろうとするが、永夜抄の設定ではこのとき月の使者の一人であった八意永琳と共謀し密かに脱出、地上に隠れ住むことになる。

一方妹紅は、父親の雪辱の為に何か輝夜に嫌がらせをしてやろうと考えていたが、輝夜は月へ帰ってしまったという噂を耳にした。

その時帝は「かぐや姫がいないのでは不死になっても意味がない」として、「不死の薬(=蓬莱の薬)」を臣下の調岩笠に命じて富士山の頂上で焼き捨てさせようとした。しかし、魔のさした妹紅はこれを強奪し、その薬を飲んで不老不死となった。


また、永夜抄の設定において蓬莱の薬を作ったのは八意永琳であり、そもそも輝夜はそれを服用したことで地上へ「追放」されたとしている。その責任を感じていた永琳は、自らも蓬莱の薬を服用し、輝夜と共に地上に隠れ住むことにした。


それからおよそ900年後、幻想郷に辿り着き輝夜と再会した妹紅は、お互い不死であることから大昔の恨みを晴らすべく殺し合いを始める。


関連タグ

竹取物語

竹取物語 藤原不比等


東方永夜抄

東方永夜抄 蓬莱山輝夜 藤原妹紅 八意永琳


表記揺れ

倉持皇子

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