石原豪人
いしはらごうじん
概要
幼少期に芝居小屋に通いつめており、役者の演技に大いに親しみ、それを見に来ていた女性達にも囲まれていた体験から、色気や艶のある絵を描く素地を磨いたといわれている。
18歳の時に満州にわたり映画看板を描き始める。
帰国してからも松戸や東京で描き続けていたが、肺を患ったために1955年ごろから挿絵画家(イラストレーター)として活動を始めた。
芸能誌に掲載された色気のあるスターの似顔絵でたちまち人気作家となり、少年誌や学年誌における巻頭企画、江戸川乱歩シリーズ、怪獣ブームにおける挿絵でも活躍。
その中でも、3日間で百匹の怪獣を描きあげたというエピソードは伝説として語られている。
怪獣ブーム後に訪れた妖怪ブームでは、怪奇作家佐藤有文著の『日本妖怪図鑑』や『世界妖怪図鑑』(重版されたものの挿絵を描き直すなど力を入れていた)をはじめとしたオカルト系の書籍や『なぜなに学習図鑑』などにインパクトのあるショッキングな挿絵をいくつも提供し、当時の子供たちを震え上がらせた。
氏の描いた挿絵を見ていた世代が編集者となった1990年代のゲーム雑誌などサブカルチャー誌においても依頼があり、『ファミ通』における誌上企画としてスーパーマリオを映画スターのように描いた絵物語やファミ通の歴史絵巻などが、氏を知らなかった世代の間で話題となり再評価された。
また同誌で連載していた編集者竹熊健太郎氏は、自著『箆棒な人々―戦後サブカルチャー偉人伝』でロングインタビューを行っている。
その他吉田戦車の『戦え軍人くん』文庫版の表紙を担当し、吉田のシンプルなキャラクターをリアルテイストで描き笑いを誘った。
なお林月光名義でゲイ雑誌やSM雑誌の挿絵を描いており、その濃厚な画風はその筋では有名だった。
1998年6月19日没。
氏の作風は死後もLINEスタンプが発売されるなど好評である。