1923年3月15日生まれ。島根県簸川郡大社町(現・出雲市)出身。
概要
本名は石原徹。
幼少期に芝居小屋に通いつめており、役者の演技に大いに親しみ、それを見に来ていた女性達にも囲まれていた体験から、色気や艶のある絵を描く素地を磨いたといわれる。
ある程度の歳になると、神主である父が氏子に渡す大黒様の絵を描くようになり、15歳のときには映画雑誌『オール松竹』の似顔絵募集で一等となった。
そこで賞金をもらったことから、投稿に精を出すようになったのだという。
自身では少年期には「ませてて理屈っぽい、嫌われるタイプ」であったと語っていたが、成人後を知る周囲の人々は、とても几帳面な人物であったと証言している。
17歳の時に満州にわたって電気会社に就職しつつアルバイトで映画看板を描き始めたが、現地召集されてしまい、書記として陸軍病院の病歴書を記述しているうちに肺を患ってしまう。
現地除隊し帰国してから24歳で高校、27歳で日本大学芸術学部で学びながら松戸や東京で看板を描き続けていたが、激務により肺病が悪化したために1955年ごろから挿絵画家(イラストレーター)として活動を始めた。
芸能誌に掲載された色気のあるスターの似顔絵でたちまち人気作家となり、少年誌や学年誌における巻頭企画、江戸川乱歩シリーズ、怪獣ブームにおける挿絵でも活躍。
その中でも、3日間で百匹の怪獣を描きあげたというエピソードは伝説として語られている。
怪獣ブーム後に訪れた妖怪ブームでは、怪奇作家佐藤有文著の『日本妖怪図鑑』や『世界妖怪図鑑』(重版されたものの挿絵を描き直すなど力を入れていた)をはじめとしたオカルト系の書籍や『なぜなに学習図鑑』などにインパクトのあるショッキングな挿絵をいくつも提供し、当時の子供たちを震え上がらせた。
また特撮作品では『快傑ライオン丸』や『緊急指令10-4・10-10』の関連商品の挿絵を担当し、独特な表現で大きなインパクトを残している。
林月光名義でゲイ雑誌やSM雑誌の挿絵も描いており、その濃厚な画風はその筋では有名であったが、1980年代以降は時代の流れであっさりとした絵が好まれるようになったためか仕事量は減っていった。
しかし、氏の描いた挿絵を見ていた世代が成人した1988年に、編集者竹熊健太郎氏がロングインタビューを行ったものが1994年に『クイック・ジャパン』誌に掲載され、没年の1998年に出版された『箆棒な人々―戦後サブカルチャー偉人伝』の一遍としても再掲された。
このインタビュー記事は業界内で話題となり、竹熊が編集に関わっていた『ビッグコミックスピリッツ』や『少年サンデー』などの企画としてかつてのような挿絵が描かれ、1990年代のゲーム雑誌などサブカルチャー誌においても仕事の依頼が増加した。
ロボットアニメ『トップをねらえ!』のBGM集ライナーにおける往年の絵物語風のイラスト(※メイン画像)や、『ファミ通』における誌上企画としてスーパーマリオを映画スターのように描いた絵物語およびファミ通の歴史絵巻などが、氏を知らなかった世代の目にも触れることになった。
氏はエロスであってもギャグであっても差別すること無く力作を仕上げ、竹熊と相原コージの漫画『サルでも描けるまんが教室』の作中画を担当。さらに吉田戦車の『戦え!軍人くん』文庫版の表紙での吉田のシンプルなキャラクターをリアルテイストで描いて笑いを誘っている。
1998年6月19日没。
氏の作風は死後もLINEスタンプが発売されるなど好評である。
著書
- 石原豪人妖怪画集
- 昭和美少年手帖
- 石原豪人~「怪奇」と「エロス」を描いたイラストレーター
- 林月光a.k.a.石原豪人画集 花咲くオトコたち~ボーイズ・ラヴの悦び
関連タグ
ゾンビ屋れい子:黒須高校編の登場人物「岩田豪人」の元ネタ。