この記事はネタバレを含みます。
概要
「ひぐらしのなく頃に」に登場する人物。
雛見沢症候群研究の第一人者で、鷹野三四(田無美代子)の育ての親。
三四(美代子)からはおじいちゃんと呼ばれ、慕われていた。
彼の雛見沢症候群の研究は、政治的背景などから不当な評価を受け、無念のままこの世を去り、研究は鷹野三四に引き継がれていくことになる。
鷹野との関係
田無美代子の父・武光にとっては恩師に当たり、彼が息を引き取る際に一二三を頼るよう美代子に告げたことが二人をつなぐきっかけとなる。
施設から虐待を受け脱出を試みた美代子が、電話ボックスから一二三に電話した際、ほとんど美代子に関する情報を得えられなかったものの、後日施設を探し出し美代子を引き取りに現れた。
施設でのトラウマに苦しむ美代子を暖かく迎え、田無美代子にとって本当の親同然の存在となる。
人物・来歴
雛見沢症候群の研究の第一人者であり、発見者。
戦時中は軍医少佐として中国で活動しており、前線で雛見沢出身の兵士の多くが精神異常を起こし、その数を不可解だと気付き、雛見沢症候群という風土病の発見に至る。
雛見沢症候群の研究に全てをかけており、症候群の解明と治療法の確立にも邁進していた。
また、上記などの理由から周囲から孤立する雛見沢出身者のために、缶詰工場での職を斡旋するなども行なっていた。この中には、園崎宗平もおり、このことが後に雛見沢村の復興に繋がった。
戦後、彼は日本に帰国した後も研究に力を注いだが、戦中、盧溝橋に駐留していた旧日本軍の中隊に雛見沢出身者がいたことで、事件の発端が症候群の影響だった可能性が浮上。彼の研究は政府や軍上層部からタブー視された。彼の研究が明るみになることで、論争が起こり、国際問題へと発展する危険性があると判断した政府などから圧力を掛けられ、寄生虫が人間の精神に影響を及ぼすことは「非現実的」だという、半ば不当な評価を受けたままこの世を去る。
研究に没頭しすぎたため、本来の家族とは別居。
晩年は不当な評価に甘んじる屈辱に加え、老衰による記憶力の低下などに苦しみ、研究者として耐えることができないストレスを抱えることになる。
更に急性の認知症を患い、もはや自分が研究を続けられない状態になってしまったことを悲観する身となってしまう。自分の頭がまだ聡明である内に死を選びたいと述べ、最期は病院で自ら命を絶ってしまう。
実の家族は彼の死後になって財産取得のために現れるが、鷹野が相続権を放棄したために争いはおきなかった(ただし書斎のものだけは鷹野に引き継がれる。本来の家族にとっては薄気味悪い研究材料としか映らず鷹野が引き取ってくれてありがたいほどだった)。
小泉の死後、「東京」の政変や終末作戦の失敗などに伴い、本来であれば雛見沢症候群と共に彼の研究成果も、歴史から無かったことにされるはずであったが、(祭囃し編では)後に入江が発表した論文の引用元に高野一二三と鷹野三四の名がしっかりと刻まれたことで、誰かを犠牲にするという形ではなく、「後進の研究者によって再評価される」という、彼や三四が実現したくてもできなかった最良の形で、彼の研究成果が活かされることになる。
賽殺し編における歴史では、彼の研究結果は世間から認められ、スポンサーも無事に確保でき、高野クリニックを開き、研究と診療を両立するという幸せな生活を送っているとされている。