概要
江戸時代前期における日本の浄土宗の仏僧であり、学者でもあった。陸奥国(福島県)出身。
琉球における仏門の布教に尽力したことで知られ、「袋中良定」「袋中上人」とも呼ばれる。
出自
幼少時代から毎朝東に向かって日輪を拝し、暮には西に向かって仏名を称するほど信心深く、5歳で1000の文字を暗記し6歳で五経を誦したほどの英才であり、両親は彼の非凡な資質を見込んで叔父が住職を務めていた能満寺に預けられる。
更には入寺して間も無く三経一論を始めとした所要の経論をほぼ全て暗記し、14歳で出家して袋中良定を名を貰いその後も多くの寺院を行脚し、様々な仏法の奥義や学問を修行し身につけていった。
琉球神道記
かねてより明に渡ってまだ見ぬ新しい仏法を学びたいと企図していたが、相談した兄の反対や多くの障害の発生により叶わず、そのため琉球に渡り布教活動を行いつつ機会を伺うこととなった。
その際に那覇港に勤める信徒の馬幸明から「琉球国は神国であるのに未だその伝記がない。ぜひともこれを書いてほしい」と懇願され、はじめは旅行中であることを理由に断ったが、あまりにも懇願されたことから了承し、二年かけて琉球各地の歴史や伝承を調べ上げ、琉球では初となる独自伝記である『琉球神道記』を完成させた。
このことや児童のための初学教本の作製が縁となり、袋中は琉球の上流階級と広く交流を持っていたことが窺われ、更に当時の琉球王である尚寧王も彼との交流により仏法に深く帰仰し、袋中は後に王から親筆した賛辞と肖像画を送られている。
余談
彼が著した琉球神道記は、薩摩による琉球遠征より前の慶長10年(1605年)に記されたもので、薩摩藩の影響下に置かれる以前における琉球の歴史や伝承、風俗などを伝える貴重な史料であり、国の重要文化財に指定されている。
その中で、琉球の始祖について源氏の武士・源為朝が初代琉球王・舜天の父であるという記述があり、このことから同様の記述がある琉球の正史『中山世鑑』は、琉球神道記をかなり参考にして編纂されていることがわかる。
中山世鑑は薩摩による琉球統治以降に制作されたために、戦後において薩摩に媚びを売るための作り話だとする声が出ていたが、上述したとおり参考にされた琉球神道記はそれ以前に制作されており、このため源為朝を琉球の始祖とする説は非常に信憑性が高いとされている。