萩本欽一
はぎもときんいち
なんでそ~なるのっ!?
概要
かつてはレギュラー番組(『欽どこ』『欽ドン』『週刊欽曜日』など)の視聴率を足して「視聴率100%男」と呼ばれた。
コサキン、勝俣州和、はしのえみ、風見しんごら欽ちゃんファミリーを率い、一時期の島田紳助同様、様々なグループ(イモ欽トリオ、わらべ、Cha-Chaほか)を生み出し、ヒットさせた。
主な動きのギャグに「欽ちゃん走り」「欽ちゃん跳び」などがある。
ただ、立川談志はザ・ドリフターズやツービートは評価するものの、コント55号は評価していない。
また、本来郷土芸能としての野球拳に、負けたら服を脱いでいくという誤ったルールを設けてしまっており、萩本本人は野球拳がれっきとした郷土芸能であったという事を当時は知らなかった。
後にその事実を知った萩本は、全国に脱衣ルールを追加した野球拳を広めてしまった事に相当後悔していた模様で、後に野球拳の家元に正式に謝罪し、ちゃんとした野球拳のルールを一から学んだとされている。
各局で人気番組を持ち「視聴率100%男」と呼ばれていたが、あるとき特番の仮装大賞だけを残し、レギュラー放送の全番組を一気に降板した。
日本のバラエティ番組の基礎は彼が作ったといっても過言ではない。それまでのお笑いというのは今では考えられないくらいエンターテインメントの中心的存在ではなかったらしい。以下の要素は萩本が日本で初めて導入した、あるいは日本初でないにしても大成功させたものだ。
- ピンマイクの使用
- MCの横にアシスタントを置く
- 面白い一般人を発掘する。
2015年4月より駒澤大学仏教学部に在学し2019年5月に自主退学した。