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解離性同一性障害の編集履歴

2020-05-11 11:53:30 バージョン

解離性同一性障害

かいりせいどういつせいしょうがい

解離性障害の一つ。多重人格障害と呼ばれていたこともある。 創作の多重人格のモデルやそのもの。

概要

解離性障害の中で、最も重いものの一つである。

フィクションにおける扱い方などの詳細は多重人格の記事を参照。

この項目は実在する病気を簡単に解説することにする。

注意

創作で扱いたい場合はデリケートな人権問題に踏み込む可能性もあるため、正しい知識を十分につけてからにすることをお勧めする。

また、解離性同一性障害でなくとも、複数の人格を一つの肉体に持つ状態やキャラクターを登場させるなら、その差異を明示するためにも知っておくことは必ず役に立つはずである。

もちろん、正しく知りたいのであればこの項目だけを読んで知った気になってはいけないし、ここの情報を完全に鵜呑みにしてもいけない。必ず、専門の書籍を読むか専門家に質問すること。症状や体験は個人のものも多く、かならずしも万人に当てはまるものでもないが、経験者の苦痛と経験をとおした理解の一端として掲載する。

決して、既存の創作に描かれるようなわかりやすく格好の良い・スタイリッシュ・コミカルなものではないのだ。


解離性障害とは

解離といわれる心の働きによって引き起こされる障害。

解離とは

解離とは、心の無意識な防衛機制の一つであり、簡単に言えば耐えられないほどの辛い記憶や感覚などを切り離してしまうことである。

これにより辛い経験を思い出せなくなったり、極度に不快な事象を知覚できなくなったりする。

(例:凄惨な事故現場で被害者の姿が一時的に見えなくなったり、人間だと認識できなくなったりする)

正常な範囲では誰でも日常的に起こっていることで、本来、不要な記憶や些細な重要でない体験をしまい込み意識から忘却する機能である。

脳内の記憶情報量が際限なく増加すると、日常における一般常識・重要な記憶や体験と区別がつかなくなり混乱が発生するため、些細な体験や記憶は封印したうえで圧縮してしまいこみ、表面上に現れなくさせる。「何かに集中して周囲の出来事に気付かなくなる」なども同じ現象である。

しかし暴力や虐待、大規模な自然災害など意識の平衡を保つことが耐えられない事態が起こり、脳が許容できなくなった時、解離の機能をいわば緊急安全装置として作動させ記憶や感覚を切り離して封印し意識に上がらなくさせる。


切り離された感覚や記憶、つまりそれらの情報は他の精神活動とリンクしなくなっただけで実際には保持されているし、感じていて、無意識のどこかに全く癒されることなく存在すると考えられている。また、一般生活に都合の悪い事実を認識することを拒否し、被虐待者が本来、絶対的に憎むべき虐待者(不幸にも高い比率で親戚・兄弟・親など日常を共にする身内の場合もある。)を逆に愛着の対象にする~惨殺したいほど憎い相手を憎悪することすらできない~など、記憶と認識をねじれた形で強引かつ無意識に改変していることもある。その後、運よく原因となった負の感情が癒され安定してくると、記憶そのものは思い出せなくとも、周辺の記憶とつじつまが合わなかったり、本来自分なら絶対忘れるはずがない興味の対象を全く思い出せないことから「記憶が欠落している」ことは認識できる場合もある。そこまでの回復に至るまでは、受けた傷が深いほど長く困難ではあるが。心の傷を忘れて認識できないまま癒されないからこそ、苦しいのである。

心理療法によって記憶を取り戻したり、後述する解離性同一性障害の人格の独立や感覚の切り替わりが起こる現象はこれによって説明ができると考えられいる。



障害として扱われるほどの段階

上記の解離が常態化して日常生活に支障がでているなど、病的だと判断される段階まで進行してしまう場合がある。解離性同一性障害もこれによって引き起こされていると考えられている。

「解離性」と頭につく病名は数多いが、これらについては省略する。


解離性同一性障害とは

通常の適応能力をはるかに超えた苦痛や体験を受け、苦痛によって精神が壊れる破綻寸前の意識の平衡を保つため、緊急的最終手段として強引に解離された人格・体験などの精神活動が、切り離され忘却されるには大きすぎたり、何度も解離されることによって(思考する時間が与えられるなどによって)成長し、個別の人格と呼べるまでになってしまった状態と考えられる。個々の精神活動における自己の同一性が保てなくなった状態。

解離性障害の中でも、幼少時の、加害者側の圧倒的な力・立場の差による性的暴行・肉体的暴力・悪質かつ卑劣な裏切りなど「虐待」が最初のトリガーとなって引き起こされるケースが多いとされている。原因となった虐待などを思い起こさせる状況により、制御不能レベルで人格が破壊的な方向に「一瞬に」「全自動で」で切り替わることもある。周囲からは大したことでもないのに急に怒り狂った、くらいにしか思われていないことが多い。本来であれば、子供が年上の少女に軽くからかわれただけのような状況でも、その子供が殺意を持って本気で少女を反撃し負傷させるなど、「原因」につながるものには恐怖と憎悪が濃縮されているため全く容赦はできない。表面上の基本人格はあずかり知らぬが「倒さなければまた虐待される」認識だからだ。

フィクションの多重人格は本来の人格の他にもう一つ別の人格があるとされることが多いが、解離性同一性障害は患者が症状を自覚、または診察を受けるまでに少なくとも二桁、多ければ三桁の人格が一つの肉体に同居している状態のこともある。初印象が実直で温厚に見えたにもかかわらず、急激なストレスがかかった場合、本人の意志とは無関係に、急に横柄で腹立たしい傲岸な行動や軽佻浮薄で軽はずみな言動、破壊的行動をとり、外部からは人格が切り替わっていることなど観察もできずあずかり知らぬためそのような人間であると決めつけられ、他方、本人は基本人格に記憶が残らず全くその行動に気が付かないため、著しい誤解をされるなど、非常に困難な人生を送る場合が多い。

フィクションのような便利な能力として使えたり、外から見てわかりやすく切り替わったり、制御が効く、などということはないのである。

日常生活を当面送り、現在の基本人格の破綻を防ぐため、基本人格の意識には「原因となる出来事は全くなかった」という、高度な洗脳さながらの巧妙に切り継ぎされた強力な偽記憶が自己作成され認識が歪んでいる。周囲の人間が口を滑らせるなど外部からの情報がある、事実の見え方が変わり偽記憶の矛盾点に気づくなどがないかぎり、外部との接点である基本人格本人が虐待などの原因が事実であるということを受け入れることを困難としている。その認識の根本的な歪みをただせないことが、心の傷をいやされることなく放置させ、人格の統合性をさらに危うくする悪循環となる。必ずしも無理に記憶を再生させ、強引に人格をつなぎ合わせる必要はなく、事実を受け入れる心理状態にできることが死活的に重要となる。

主人格や肉体の性別とは違う性別だと主張する人格が現れることは全く普通のことである。三桁に迫る数の人格がいれば、男女ともそれなりの数が存在することは当然ある。

逆に、情動や性質は完全な別人レベルで切り替わるのに、記憶や意識は連続している内在性解離という症状もある。この場合、原因となった出来事の記憶は、関連する周囲の記憶まで含めて欠落させてしまうことも多く、本人ではその原因を連想すらできない状態(「原因」への憎悪・恐怖が失われたわけではない。あくまでも本人の意識が「認識できない」だけで負の感情は増幅されているため、原因を思わせる外部刺激にはむしろ過剰に反応する。)になっていることもあり、攻撃・激発状態で「怒り狂っているのに本人にはその原因がわからない、言動や行動が別人のごとくコロコロ切り替わる」という支離滅裂な状態にしか外部には見えないことから、統合失調症と誤認されてしまうこともある。


切り離された人格はそれぞれの名前を名乗り、出身地、性別、年齢、生い立ちまでもをバラバラに主張する。しかし、自分が患者から切り離された人格であることを否定することは稀で、切り離された瞬間を記憶していて、その時を「生まれた」と表現することもある。しかし、矛盾するはずの「生い立ち」もまた真実であると主張することが多い。

これらは基本人格から無理やり切り離された憎悪・恐怖・怒り・悲しみなどの人格構成要素に、かつて見たことのある外部情報を、偽記憶同様巧妙にかけあわせ人格を形作っているのだと考えられている。

失踪した人間が、全く別の場所で別の名前を名乗り、以前からは想像もつかない仕事をしていた例も報告されている。また、自分の個人情報及び生活史は記憶から全く欠落しているが、社会的情報は人格にそのまま残っていたなどの例もある。


役割を持たせるために意図して人格を作り上げる現象も確認されている。肉体を管理する役割、感情を発散する役割、人生を管理する役割など。幼い人格や弱い人格の面倒を見ているのだと主張する人格がいることも多い。矛盾しているようだが、先に上げた非合理な攻撃行動、対外的に有害な逸脱行動は、いわば彼らが脆い傷ついたままの主人格を保護するために、主人格の意志とは半ば以上独立して自動的に行っているのだ。原因となった恐怖・憎悪・悲しみが癒され解消されるまで、自動行動は解除されることはない。学校・職場などのストレスを伴うタテ関係が強制される場では、症状の悪化が一気に助長されてしまうことも多い。(最初のきっかけとなる虐待・加害者は大抵が被害者より年長であり、いわば先輩・上司は例外なくストレス源、さらに極端に言えば「虐待者と同一視」されることもある。また、中学校程度の年代では「先輩」になった途端、自分が極端に偉くなったと錯覚し増長するため尊大な態度を暴力も含め容易くとってしまうことも、患者の憎悪の対象となる。)

人格になるまでには至っていない大小の「怒り」や「悲しみ」といった解離した感情や感覚も、個人の名前がつけられないまま内部に存在していることが患者の人格の証言から明らかになっている。

原因となった負の感情は解消されることがないかぎり、潜在的に水面下で常時煮えたぎるマグマのように存在するため、初見での「おとなしい」「温厚そう」「実直」な印象とは異なる、異常にアグレッシブな一面を持つことがある。攻撃人格は本来生まれ持った以上の集中力や能力を発揮し、芸術や表現に優れた傾向を示すことがあるが、同時に常時精神的な過負荷状態にあるため苦痛と裏腹であることも多い。(彼らは決して天才ではなく、常に人間としてほかの能力マージンを削ったうえで無理をしているのと同じため、ペース配分をかなり上手くやらないと容易にバーンアウトを起こす。)だが安易に完全な解消を目指すと想像力の源を失い、生きる力を全く失うことにもなりかねないため特に本人がクリエーターの場合、配慮を要する。



別人格は自分だとは思えない

治療の一環として、別人格が行動しているときの、先に上げた非合理な攻撃行動、対外的に有害な逸脱行動の様子を撮影し、基本人格など別の人格に見せていたことがあった。しかし、これら攻撃人格の行動は、完全に常軌を逸している(狂気、といってもあながち的外れではない)事が多く、患者に大変大きな衝撃を与え、むしろ心の傷を深くするだけのため現在は行われていない。

内部で声が聞こえ、会話が出来ると報告する患者と、別人格とは全くコミュニケーションをとることが出来ないと言う患者もいる。

人格同士が役割を持ち、任意に切り替わりながら日常生活を送っているという患者もいるが、人格が切り替わるタイミングは全くコントロールできないと証言する患者が多いようである。

また、記憶がたびたび欠落しているため、身内や友人、同級生や同僚などの周囲から自分がやった認識のないことで責め立てられたり、からかわれたりすることもある。認識がそもそも全くないので適当なことを言われたり、言いがかりを脈絡もなく突如言ってきただけとしか思えないが、人格が切り替わって記憶が継ぎはぎされている自覚がない例もまた多く、それがあまりにも頻繁な場合は若干疑ってみてもいい。そのうえで幼少時の特定の時期だけが妙に曖昧、思い出せないなどの場合は、ひとり合点せず、まずは信頼できる筋に相談を勧める。一人で思い込み過ぎた場合、脳が当面都合のいい偽記憶を自動作成しさらに拗らせる危険もある。



主人格、基本人格

誤解が多いが、新しく発生した人格は本来の精神活動から枝分かれして切り離されただけで、どれもが間違いなく「本人」だと考えられている。

「主人格」とは定義すれば産まれてから現在までの記憶的な繋がりを持つ人格のこと。そして、「基本人格」とは日常生活で最も長く表に出ている人格のことである。

本来主人格に当たるはずの人格と対話できないケースも珍しくない。人格を解離させなければならないほどの過酷で凄惨な経験をしているためか、この定義における主人格は消滅してしまっており(少なくとも他の人格にすら知覚出来ない状態なのだろう)幼少期の記憶は無く、「○○(患者の名前)は死んでしまった」と患者が語るケースもある。


人格同士の統合は切り離されていたリンクが修復されるだけだと考えられている。どの人格がどの人格に統合されるかで主人格が消失したりすることはない。また、治療の方針を人格の統合にする場合、どの人格に他の人格を統合していくのか、医者と相談して決めるが、ベースとなるのは必ずしも主人格ではない。人格の統合に協力的な人格も非協力的な人格も存在しえる。

創作活動にあたる人間の場合、特定の人格(積極的な攻撃人格など)が創造性を担っていることもあるので、下手に封じれば何もできなくなってしまうこともある。

現在は無理に人格の統合しようとせず、症状の進行を防ぎ、人格と対話することで日常生活を問題なく過ごせるようにすることを治療とするが多いそうである。


解離だけで全てに説明がつくのか

解離だけでこの「解離性同一性障害」の全てに説明がつくのかはまだよく分かっていない。脳の機能自体が全て解き明かされたわけではないため、解離に未知の性質がある可能性もあるが、現状考えられている「解離」という現象だけでは説明が難しい不可解な現象も、解離性同質性障害では報告されている。

・本人よりも年上の人格が誕生し、それが年齢に不相応なほど成熟した(つまりその人格の主張する年齢相応)性格と技能を持っている。

・人格ごとに明らかに体質が変化してしまう。アレルギーの変化、特定の人格のみが身体障害を持つなど。手術の直前に人格が入れ替わり、交代された人格は麻酔が効いていなかったため激痛を味合わなくてはならなかったという証言もある。

・出身地を「本人」とは違う言語圏の土地だと主張し、その土地の言語を母国語のように流暢に扱う。


今後、解離の研究が進むことで、これらの現象にも説明がつくのかも知れない。

なによりも、人類は結局自分たち自身の事もまだよくわかってはいないのだろう。


解離性同一性障害を取り巻く問題

人を傷つける「危険な人格」がいる、犯罪者であるなどの偏見や、心が弱いために起こるという誤解、症状の存在自体を頑なに認めないなど、一面的な誤った見方による無理解や差別が実在し横行している。

フィクションで面白おかしく取り上げられることも、実態の認知が進まないことや、架空の存在だと勘違いさせる大きな要因といわれている。たいていは実際の解離性同一性障害などの苦痛を体験したことがない人間が描いたものであり、興味半分・面白おかしく描いただけのことが大半である。むしろ差別を助長するだけでしかなく、実際の体験者の立場からいえば、いい気なものであるとしか言いようがない。


人格の解離とは、フィクションで描かれるような愉快なものでも格好いいものでもない。常に絶望的な身を引き裂かれる苦痛からの解放をのぞむ、自分と周囲を破壊しながらの悲惨な絶叫なのだ。


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多重人格 二重人格 精神疾患 解離

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