概要
罰を科す目的で肉体に苦痛を与える行為のこと。
西洋社会においては尻を棒で激しく殴る、手の甲を赤くなるほど平手で殴るなどの激しい暴力が「注意をしても聞かない・もしくは理解できない」という子供に対する教育的な指導として認識され、学校や家庭において広く体罰が行われた。
日本においても、西洋ほど過激ではないが、古くから廊下に立たせる、地域によっては灸を据えるなどの、今日では体罰扱いされかねない行為が認められていた。
大日本帝国海軍では、イギリス海軍から体罰による指導が導入される。教育現場では禁じられていたが、戦時中は人心の荒廃により教育現場にも広がり、戦後間もない頃も、軍隊帰りの教師による「教育的指導」として体罰が行われていた。近年では、人権意識の高まりにより問題視され、教師などによる体罰が発覚すると処罰される。現在の欧米でも、体罰は基本的に禁止されている。日本に留学していた蒋介石は、日本軍の教育や制度を中国に持ち帰ったが、体罰だけは導入することを嫌った。中国や東南アジアでは、人前で侮辱され殴られることは屈辱と見なされるからである。
社会人も職場によってはこれの洗礼を受ける。
船員(海上自衛隊や海上保安庁も含む)、消防、警察、パティシエなど一部業界・組織では、21世紀現在も悪しき風習として存在しているようである。
マレーシアやシンガポールでは、現在でも学校などでムチ打ちなどの身体刑が存在している。
学園もののスポ根ものの作品でも教師や上級生による体罰描写は多いが、「感情的になったり、自分の都合で理不尽に行うもの」として描かれる場合もあれば、主人公や性格が善良な者の場合はあくまでも「明らかに対象者が他人の命や尊厳に関わる過ちを犯し、それを認めようとしなかった(軽く考えていた)」場合のみに限定され、クラスや集団全体の意識が良い意味で変化するきっかけとして描かれている。特に後者では実施後に「なぜ、どれほどいけないのか」を全員に説くなど体罰後のフォローもしっかりとしている。