林銑十郎(はやし せんじゅうろう)は、日本の陸軍軍人。1876年石川県生まれ。
1931年に発生した満州事変時は、朝鮮軍司令官(中将)を務めていたが、参謀の意見に引きずられる形で満州への越境派兵を行った。これは天皇の裁可を得ていない統帥権を干犯する行為であったが、罰せられることはなく、翌年には大将に昇進している。
その後陸軍大臣を経て、1937年2月に、広田弘毅の後任として内閣総理大臣に就任する。しかし衆議院を解散し総選挙に挑んだ結果、昭和会(立憲政友会の分派)・国民同盟(立憲民政会の分派)などの親軍部派政党が諸々合わせても466議席中40議席しか取れなかったため、5月31日に成立後4ヵ月で退陣を余儀なくされた。
1943年死去。