概要
定山渓鉄道では経営的に苦しい状態が続いていたが、通勤客も増加し、観光に特化した従来車では乗客が捌ききれなくなっていたため、東京急行電鉄から車両を譲受していた。また、戦前製の200形などの老朽化も課題となっていたため、これらの機器を流用して新型車両を2両製造した。これが2300形である。
車体は18m級2扉の両運転台鋼製車体であるが、非冷房で窓が開かず、カーテンも設置されなかった。また、足回りはそのまま流用しているため、乗り心地も芳しくなかった。この結果、エチケット袋が設置されており、「ゲロ電」という有り難くないあだ名がついた。
実際に運用に入ると車内温度の上昇により乗り物酔いが誘発され、二日酔いに苦しんだ乗客もいたという。その後、1969年10月31日の廃止まで使用され、廃止後は引き取り手が現れず、登場からわずか5年で廃車、解体の憂き目となった。