概要
『僕だけがいない街』に登場する八代学×藤沼悟のBLカップリング。
教師と生徒の関係で、八代は悟が小学六年生のときの担任である。
物語の根幹に関わる二人は、因縁の強いカップリングであるといえる。
元の世界線で、事件を未然に防げなかった事に自責の念を感じる悟に対し、八代は卒業式当日に『心の中に空いた穴を埋めていくのが人生であると、ぼくは考える』という言葉を送り、当時の悟の心の穴を埋めた。
また再上映後の世界では、加代救出にアドバイスを送り協力してくれる八代に対し、父親を知らない悟は父性を感じるなど、悟の八代に対する好感度は再上映前に比べて高くなっている。
【ネタバレに付き、閲覧注意】
八代こそ悟が追い求めた小学生連続殺人事件の真犯人。
つまりは同級生や母親を殺された挙句、犯人に仕立てられた宿敵である。
概要の通り悟は再上映後での八代を心から信頼し、それが最悪の形で裏切られる事となった。
八代は何度となく自身の計画を邪魔した悟に対し敬意を抱き、そして殺人を行えなかった代償行為として悟を殺害しようとするも、悟が奇跡的に生還したことに自らの『生』に意味を与えてくれる可能性を感じ、以降、15年もの間、悟を陰から援助・見守り続ける。
そして15年の時を経て目覚めた事実に、幼少期飼っていたハムスターが与えてくれた以上の歓喜を感じ、『正直シビれた』として、八代の中で悟は特別な意味を持つ存在となっていくのがポイントである。
また、悟の再上映前の世界線の性格と、八代の幼少期(御子原学)の思考が似ている点があったり、八代が小学校6年生の時に虐められていた白鳥潤に語った勇気の話を、白鳥潤が数十年後に悟に話聞かせるなど、物語開始前からの繋がりも感じさせる二人である。
以下、アニメ版の最終回。
原作と異なり、最後はオリジナルストーリーとして終焉を迎える。
11話最後の決別で、八代は代償行為で悟を殺すのではなく生かす道を選んだ。
スパイスと名付け、原作と同様に彼が目覚めるのを待ち続ける。それは八代にとっての苦行であり、充実した日々でもあった。悟に尽くす事で殺人衝動は薄れていき、心の穴を埋めていった。
悟と八代の勝敗は関係がなくなる程に、15年の年月はあまりにも長すぎたのである。
八代の正体を知るのは悟だけ。
悟は八代を恨む事なく、ただ彼を受け入れた。
「もう独りぼっちじゃない」
「僕は先生の生き甲斐だった」
「僕は先生の希望だった」
「僕は先生の心の穴を埋めた」
「先生は僕がいるから生きている。生きている実感が持てる」
「この世界で本当の先生を知ってるのは僕だけだよ」
「悟…僕はもう君がいなければ生きていけない」
組み合わせ
八代学を指す名前が複数ある為(八代学の記事参照)、組み合わせが非常に多いのも特徴のCPである。
八代学(28歳)×藤沼悟(11歳)をはじめとして
西園学×藤沼悟(26歳)
古賀×藤沼悟
御子原×藤沼悟
etc...
またアニメ版の八代は逮捕時点で罪に問われる事件が最終回の殺人未遂のみであることから
出所後やしサトという概念も存在する。
余談(ネタバレ注意)
pixiv投稿作品や同人誌は28歳の八代×11歳の悟(中身29歳)が多い。
その中でも八代が加代達の死で得られなかった代償行為を悟を殺すのでなく本人に求め、脅迫又は監禁するといった過激なものが、ほぼ占められている。
蜘蛛の糸の殺害対象者である悟が八代の傍にいる事で彼の生の実感に成り代わり、殺人衝動を無くす。
それは連続殺人鬼がいなくなる事を意味し、街に平和が戻るので母親や同級生達を守りたい悟はイヤでも応じる事になる。
何故こういった作品が多い傾向にあるのかというと、八代が支配型のサイコパスに近い人物であるからと思われる。
悟を自分のものにする事で欲望が達せられると共にサイコパスを悩ます孤独を埋められる。
しかも実兄に虐待され性犯罪の片棒を担がされていた歪な過去と「自分の中に兄がいる」と自覚している事から八代が悟を脅迫、誘拐、拉致監禁、性犯罪に手を出す道を選んでも全く不思議ではないのが投稿者様達を刺激させた要因だろう。
(要はヤりそうな要素満点で、土台がしっかりし過ぎている)
それに悟に接近する計画を楽し気に語ったとき、悟本人は相手を「恋人」と勘違いし、八代は「恋愛に似ている」とも認めている。
ちなみに八代は決してペドフィリアではなく、恋人がいた事もある。しかし恋人や結婚相手の身内、周辺など躊躇なく殺害しており唯一執着し続けたのは悟だけである。
悟の中身はアラサーでも体がショタであるので、内容によっては読むときは注意が必要。