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藤原家忠の編集履歴

2021-03-15 07:47:39 バージョン

藤原家忠

ふじわらのいえただ

藤原家忠とは平安時代後期の公卿。

概要

藤原師実の次男、母は源頼国の娘。官位は従一位、左大臣花山院家の祖。


プロフィール

時代平安時代後期
生誕康平5年(1062年)
死没保延2年5月14日(1136年6月15日
官位従一位、左大臣
主君白河天皇堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇
氏族花山院家
父母父:藤原師実、母:源頼国の娘
兄弟師通家忠経実忠教
藤原定綱の娘、橘致綱の娘
忠宗忠能忠兼

経歴

延久4年(1072年)に従五位下、承暦4年(1080年)に従三位に叙爵され公卿になる。永保2年(1082年)に参議に就任。永保3年(1083年)に権中納言、応徳3年(1086年)に左衛門督、寛治2年(1088年)に正二位・その後の寛治5年(1091年)に権大納言となる。承徳3年(1099年)に兄師通が亡くなり関白に就任するつもりだったが甥の忠実が関白に就任した。康和5年(1103年)右近衛大将となる。永久3年(1115年)に大納言。保安元年(1120年)に忠実が謹慎を受け家忠が摂関家の後を継ぐつもりだったが藤原顕隆によって阻止された。保安2年(1121年)に左近衛大将、保安3年(1122年)に右大臣に就任し天承元年(1131年)に従一位となり左大臣に就任。



外部リンク

藤原家忠 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公卿 平安時代  藤原北家 花山院家


花山院家初代当主花山院家2代当主
藤原家忠藤原忠宗
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