ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

セントライトの編集履歴

2021-03-23 13:49:27 バージョン

セントライト

せんとらいと

セントライトは元競走馬・種牡馬。国営→中央競馬における初代牡馬三冠馬である。(メイン画像左端の馬)

1938年4月2日生まれ、父ダイオライト・母フリッパンシー。通算12戦9勝。


1941年デビュー、2戦目で皐月賞(当時は横浜農林省四歳呼馬)制覇、4戦目から4連闘だったが日本ダービーでは8馬身差で勝利、現在でも歴代ダービー馬で最大着差である。秋は5連闘で菊花賞(当時は京都農林省四歳呼馬)制覇、史上初の三冠馬となる(当時は三栄冠馬)。


菊花賞制覇後、帝室御賞典(現在の[[天皇賞]を目指すべくハンデキャップ戦に挑むが、72kgという酷量を背負わされることが判明したため、「そんな酷量背負わせるぐらいなら」という馬主の英断もあり、菊花賞を最後に現役を引退する。歴代牡馬三冠馬でもセントライトは唯一現役がわずか1年間のみだった。最終成績は12戦9勝二着2回。


引退後は岩手県小岩井農場にて種牡馬として繋養され、オーライトやセントオーやオーエンスなどの菊花賞・天皇賞馬を輩出するが、戦後小岩井農場が競走馬生産を取りやめたため、岩手県畜産試験場に繋養先が変わったために繁殖牝馬の質が落ちて種牡馬成績を落とし、晩年は主だった産駒を出すことができず、父系・母系とも現在はセントライトの血を受け継ぐものは途絶えてしまっている。


1965年2月に老衰により27歳(旧28歳)で死去。くしくもシンザンが前年の1964年に戦後初の三冠馬に輝くのを見届けたように亡くなったといえる。セントライトがシンザンへ三冠の称号を贈って以降、日本には常に三冠馬が最低一頭は生き続けている。


日本ダービー時点で体高166cm、体重500kg以上と当時としては大柄な体格だが、スマートさに欠けていたため「ずんぐりむっくりの大型戦車」などと呼ばれたこともある。


1984年に顕彰馬に選出。


兄弟にタイホウ(父シアンモア、帝室御賞典)やクリヒカリ(父シアンモア、横浜農林省四歳呼馬・帝室御賞典)やトサミドリ(父プリメロ、皐月賞・菊花賞)がおり、このうちトサミドリは兄セントライトと同じく顕彰馬に選出され、現在でも顕彰馬で唯一の兄弟馬となっている。


1947年、セントライトの功績を称えて、4歳馬(現3歳馬)限定重賞セントライト記念が創設され、現在は関東での菊花賞トライアル重賞として認知されている。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました