概要
歌詞は1929年にドイツのナチス突撃隊員であったホルスト・ヴェッセルが、ゲッベルスの創刊した新聞『デア・アングリフ』に投稿した詩が元となっている。
この詩は、共産主義者のヴィリ・ブレーデルによって赤色戦線戦士同盟のために書いた詩を、ヴェッセルがナチ党活動に合うように編集したという説がある。
アルフレート・ワイデマン(Alfred Weidemann)の研究によると、メロディは1865年にペーター・コルネリウスが作曲したものが元になっている。
当時このメロディには別の歌詞がつけられ、バーなどでラブソングとして歌われ親しまれていた。
またゲオルク・ブロデリク (Georg Broderick) によると、軽巡洋艦ケーニヒスベルクの退役軍人により歌われていた「ケーニヒスベルク・リート」も同じメロディーで歌われていたという。
経緯とその後
ヴェッセルは1930年1月14日に愛人であった娼婦のエルナ・イェニケの部屋で銃撃され、2月23日に病院で死亡した。当時の司法記録によれば、犯行は1929年以来非合法化されていたドイツ共産党の軍事部門である赤色戦線戦士同盟のメンバー、アルブレヒト・ヘーラー(英語版)によるものとされている。ヘーラーはイェニケの雇い主に2人の仲を裂くよう依頼されていたが、いきなり銃を乱射したという。
事件直後から、ヴェッセルはゲッベルスによりナチス運動の殉教者に仕立て上げられる。ゲッベルスは彼を「国家社会主義者のキリスト」と讃えるキャンペーンを行った。1930年3月1日、ナチ党機関紙「フェルキッシャー・ベオバハター」にこの詩が掲載されると、経緯は不明だがメロディーがつけられて党員の間で流行した。ナチ党がヴェッセルの盛大な葬儀を行うと、突撃隊員や参加者はこの歌を合唱したという。ゲーリングの回想によると、この時ゲッベルスは「これだ、これだ」とつぶやきつづけていたという。葬儀の後、この歌はナチ党の党歌として採用された。当時、ナチ党は数多くの党歌を採用していたが、この歌は最も有名な党歌となった。敵対政党はこの歌を替え歌にして、ナチ党を揶揄した。
1933年のヒトラー内閣の成立以降、ヴァイマル共和政時代の国歌であったドイツの歌と並んで第二国歌的な扱いを受けた。また、スペインのファランヘ党、イギリスのイギリスファシスト連合等のファシスト政党でも歌詞を変えて歌われていた。
1945年のWW2敗戦後、西ドイツではドイツ刑法第86a条が施行され、ナチ党のシンボルである『旗を高く掲げよ』を公の場で歌ったり演奏したりすることが禁止された。この法律は東西再統一後のドイツでも有効である。
2011年、Amazon社とApple社が、『旗を高く掲げよ』の音楽ファイルをウェブサイトでダウンロード販売対象としていたため、ニーダーザクセン州警察から取り調べを受ける事態となった。両社は当局の要請に従い、この歌をウェブサイトから削除した。
逸話
一方、敗戦国と化した祖国から海外に離散した元ドイツ軍兵士たちが、この歌を愛唱していたという目撃談は数多い。相当数の元ドイツ軍人が入隊していたフランス外人部隊の兵士達がインドシナの戦場でこの歌を歌っていたという話、またWW2後にアメリカに渡り、同国のロケット開発計画に関わったドイツ人技術者たちが酒場でこの歌を合唱していた話などが記録に残されている。
近年ではイギリスのパンク・ロック・バンド、スクリュードライバーによってカバーされている。その他にも、チリ海軍の海兵隊コマンドスでは、この歌の替え歌が隊歌として歌われている。