アメリカの傑作戦闘機のひとつ。
1951年、ロッキード社のクラレンス(ケリー)・ジョンソンは調査のため、韓国を訪れた。
その調査とは『戦闘機に何を求めているか?』という点について、実戦のパイロットに意見を求めるためだった。
ケリーの質問についてパイロット達は異口同音に、
『敵を追跡するためにも上昇力が欲しい! そのためには射出座席を無くしたって構わない!』
という要望を伝えてきた。
当時、朝鮮戦争ではF-86でさえMiG-15が上昇して逃げると追跡できず、
そのためにパイロット達は上昇力に優れた戦闘機を求めたのだった。
調査結果を携えて会社に戻ると、ケリーはさっそく製図板に向き合った。
1952年3月には構想図がいくつか出来上がり、以降は版を重ねるごとに洗練されていった。
その動きに合わせて空軍も
『次の戦闘機は軽量な機体に強力なエンジンを備えたものとする』
と歩調を合わせた。
(何よりもパイロット達がそれを望んでいた事も大きいだろう)
1952年5月、空軍は国内の各メーカーに上記のような要求仕様を提示。
1952年11月、ロッキード社からケリーの『スカンクワークス』が開発案を提出。
1953年3月、数ある提案の中からケリーの開発案を採用。契約と共に2機の原型機製作を発注した。
当初は新型のJ-79エンジンに合わせて設計されていたが、
原型機には間に合いそうになかったのでJ-65エンジンに合わせて設計された。
1954年3月、最初の原型機XF-104が初飛行。
その月の末にはJ-79エンジン装備のYF-104が17機発注された。