以下ネタバレのため注意
「愛する人と一緒なら、ほんのちょっとのスープと堅いパンがあればいい。こんな豪華なドレスがなくたって、自分で縫ったツギハギのお洋服を着ればいい。二人で一緒に見られるなら、綺麗な宝石じゃなくても、小さなガラス玉が一つあればいい」
「いつか、愛する人ができたら、結婚して、二人で小さなお店を開くの。その人の子供を生んで、愛情をたっぷりかけて育てるわ。普通の子でいい。元気で、幸せになってほしい」
「なにも、特別はいらない。ありふれた日々でいいわ。穏やかで、優しくて、楽しい、そんな家庭がわたしの夢よ。」
「誰かの大事にしている、小さな幸せを守るのが優しさなの。」
「銀水聖海の平和とか、統一とか、正義とか、それはすごく大事なことなんだろうけど、そんな大きなことを成そうとしたら、きっと、小さな幸せは忘れられちゃうんだわ」
概要
ルナ・アーツェノンとは、『魔王学院の不適合者』のキャラクター。
災淵世界イーヴェゼイノの幻獣機関所長「ドミニク・アーツェノン」の孫娘で本作の主人公、アノス・ヴォルディゴードの前世の母親。弟はパリントン・アネッサ
髪はショートカットで、活発そうな十代の背格好をしている。
イーヴェゼイノに住む幻魔族。その中でも特に魔眼が優れており、本来は見えないはずの幻獣を見ることができ、「依存」の渇望を持つ朱猫と蒼猫とよく戯れていた。
有する渇望は「子を産みたい」というものであり、愛する人ならどんなに質素で、貧しい暮らしでもよく、結婚して子供を産み、穏やかで優しくて、楽しい、そんな家庭で暮らすのが夢であると、彼女は語った。
災渦の淵姫の宿命
ルナの祖父であるドミニクは滅びの獅子の研究に熱中し、狂っていた。
そこでドミニクは滅びの獅子とは如何なるものかという渇望に駆られ、彼女を獅子を産む母胎にしようとする。
だが、滅びの獅子を産むのには子宮を《渇望の災淵》に変える必要がある。
ドミニクはルナの「子を産みたい」という渇望を《渇望の災淵》と同じ力を持つといわれる「懐胎の鳳凰」という幻獣に変え、滅びの獅子を孕ませた。
これによりルナは銀水聖海を滅す厄災、アーツェノンの滅びの獅子を生むという運命を背負わされる《災渦の淵姫》となってしまう。
この事件にはとある人物の思惑も絡んでいるようだが……?
ある子供との出会い
一七〇〇〇年前 ルナが《災渦の淵姫》であると告げられてから千年後
ルナはある子供と出会った。
容姿は銀髪で、黒い衣服を羽織っている、どこか大人びている子供だった。
その子供はどうやら味が理解できないらしい。ルナはその子供───影に「美味しい」と思わせるような料理を作ろうと、花嫁修行の一環として鍛えた料理を振る舞ううちにしばらくの間一緒に暮らすようになった。
穏やかで、楽しく暮らしていく日々の中。ルナは次第に、《災渦の淵姫》という宿命を忘れられ、遠い昔に諦めたかつての夢を思い出すようになっていた。花嫁となり、子をもうけ、幸せに暮らすという夢を─────
ある日、ルナは真実を打ち明ける。───だが、影は「諦めるのはまだ早い」と言い、ルナに救いの手を差し伸べた。影はルナと暮らすうちに味を覚えるようになっていた。彼はルナを「自分にとっての恩人」と呼び、あるものを与え、一つの希望をルナに託した。
聖剣世界にあるという霊神人剣エヴァンスマナを使えばその宿命を断ち切ることができるかもしれない、と。
宿命から逃れ……そして
影は自分と同じく大きな宿業を背負っていた。唯一違ったのは彼はそれを悲観せず、戦い続けてきたということ。そんな彼といるうちに次第にルナは自分も運命と戦える。そんな気がした。
場所は鍛治世界バーディルーア
そこに一隻の銀水船が停泊していた。聖剣世界ハイフォリアが男爵、レブラハルド・フレネロスのものである。ルナがそこに逃れ、影からもらった「あるもの」———ハインリエル勲章を見せ、自らの宿命を断ち切ってもらえるよう、頼み込んだ。
狩猟貴族はハインリエル勲章に自らの遺言である《聖遺言(バセラム)》を遺す。その《聖遺言》はレブラハルドにとっても友人、ジェインのものだった。
友人の遺言に思うところがあったのか。レブラハルドはその頼みを聞き入れてくれた──
影と出会い三千年の時が流れた───
エヴァンスマナを手に入れるには生涯に三度行われる王位継承戦に勝ち抜かねばならない。
その間、ルナは銀水船の片隅で必死に己が渇望と戦い続けた。雨が降るたびに胎動し、自らを産んでくと希うその衝動を彼女は泣きながら押さえつける。
そして、その日は唐突に来た。
ルナが滞在していた銀水船にイーヴェゼイノの災亀が衝突したのだ。船内が混乱している中1人の男が現れた————彼女の弟パリントンである。
パリントンは言った、
自分が孕む子が獅子となる宿命からは逃れられない、と、自分は祖父とは違う、イーヴェゼイノに戻り自分と一緒にささやかな幸せを送ろう、と
そして狩猟貴族たちに矢で打たれながらもルナをつれもどそうとする。
だが———
「……わかるよ。パリントンの言うことも。馬鹿なことしてるかもしれないって思うわ。だけど、わたし諦められない。信じたいの」
「最後は必ず、愛が勝つって」
————その時だった。
一筋の光明がルナとパリントン、そしてパリントンを排除しようとする狩猟貴族たちを照らした
光の先にあるのは男爵レブラハルド。その手には聖剣が握られていた。
王位継承戦によりレブラハルドが霊神人剣エヴァンスマナに選ばれたのだ。
レブラハルドが指揮を取る。
彼とその部下が放つ深層大魔法《破邪聖剣王道神覇(レイボルド・アンジェラム)》
そして目にも止まらぬ速さで《渇望の災淵》を貫いたもの
その二つの瞬きによりルナへと続く道が現れる。すかさずレブラハルドは霊神人剣を振り下ろす—— 霊神人剣 秘奥が肆《天覇王剣》
それは宿命を断ち切る剣。その剣身ごとルナと《渇望の災淵》を切り裂いた
そしてルナは泡沫世界へと落ちていく。彼女を蝕んだ宿命を捨てて────
雨が、降っていた
ルナが落ちたのはある泡沫世界。名をエレネシア、後に転生世界ミリティアと呼ばれることとなる世界である。
その世界は魔族と人間が対立しており、滅びの一途を辿っていた。
ルナがたどり着いた魔族の国ラーカファルセイト、そこには人間の国アイベスフォンの勇者が滞在していた。
名をエルウィン、勇者率いる部隊はルナを囲み、退路を防いだ。
雨音と共にルナの胎内から不吉の音が聞こえる。イーヴェゼイノの住民であるといった宿命は断ち切ったものの、彼女の胎は未だ災渦を宿している。
「カノ……サイカノ…エン……キ…」
声が聞こえた。それはルナがよく戯れていた二匹の幻獣、朱猫と蒼猫だった。
二匹は泥のような不定形の形をし、その勇者に受肉した。
受肉した二匹の幻獣はその渇望の従うままにルナに斬りかかり、弾け飛ばした。
幻獣はトドメとばかりに魔剣と化した聖剣をルナに投擲する————
眩い紫電が迸る。
ルナの前には黒い影。ある人物が剣を受け止めていた。
彼女を助けたのは紫色の髪をもつ男。黒い外套と万雷を宿す剣を持ち、滅紫に輝く瞳を持っていた。
彼は滅びの世界を彷徨う亡霊。名を幻名騎士団、団長セリス・ヴォルディゴードという。
彼は万雷剣を携え、一瞬にして勇者エルウィンを滅ぼし、そしてルナを見た。
「奇妙な魔力だ。女、名はなんと言う?」
不吉な音が止まっていた。
雨は降っている。
なのにもう雨の音は聞こえない。
もっと、もっと大きな音が、彼女の全身に響いていた。
イーヴェゼイノにも雷は当たり前のように降り注ぐ。
それでも、このとき、彼女は生まれて初めて、輝くような目映い紫電を見た。
大きくて、大きくて、止まらない。
紫の雷鳴が、遠く心臓に鳴り響く———
名もなき騎士たちと
彼は不適合者。秩序を乱し、世界の仇敵となるもの。数多の世界では純粋なる悪と伝えられている。
だが、ルナはこれまでに聞いた不適合者とはどこか印象が違うように感じる。
彼の瞳はどこまでも遠くまっすぐで、この滅びの世界の遠い未来を見つめている。
ルナはパンなどの食事を作る代わりに、バルファッバ山の断崖に位置する幻名騎士の集落に停めてもらっていた。
幻名騎士は名もなき亡霊。
情を捨て、心を捨て、死した亡霊を演じながらも大を生かすために小を殺す。
他者には決して理解されず、ひたすらに恐れられるだけの戦いの日々を繰り返す。
その戦いの先がやがて滅びと知りながらも。
彼らが生きるエレネシアはもう限界なのだ。数々の国が争い合い、憎み合い、そして互いに傷つけ合った。
戦い抜こうとも、勝利しようとも、守りきることはできない。
死闘の果てにあるのはただ一つの巨大な絶望。
それがわかっていながら、しかしもう誰にも止めることはできないのだ。
そんな中、なにも知らず笑顔に振る舞い、食事を作るルナは、彼らにとっては僅かな希望であった。
たとえ、それが大きな絶望の中に見えた微かな灯火であったとしても。
故に、騎士たちは彼女を「姫」と呼んだ。
セリスは創造神エレネシアと共に銀水聖海において夢物語とされる転生魔法の実験をしていた。
他の騎士たちがルナの食事を喜んで食べる中、セリスは自らを死人と言い、食事することを拒絶している。持っていったとして、鋭い目でルナを見つめ、冷たくあしらい、言葉もくれない。
だがルナは彼がなにを考えているのか、知りたくて仕方がない。その感情に、その渇望に次第に囚われるようになっていった。
ルナは恋をしているのだ。
この恋は運命なのだろうか?ルナはそう思うようになった。
ある日、ルナは幻名騎士団の一番に頼み、そして無理矢理にでもパンを食べさせようと画策する。
ルナが読みふけっていたある童話では呪いをかけられた王子様はキスをすることで、人の心を取り戻していた。
彼が人の心を感じない亡霊であるならば、ルナにできる唯一のこと———食事作りにより、その呪いを解けば彼のことをもっと知れるのではないかと考えたからだ。
パンやスープを(半ば強引に)食べさせることは成功する。
だが、彼は言う
「生者と亡霊は相容れぬ。お前が光ならば、我らは影だ。ついぞ交わることはない」
と、
今回もあしらわれてしまったが、普段より話すことができたと感じたルナは、その不屈の心を持ってまたリベンジしようと試みる。
だが————
「姫、お別れです。私はこれより冥府へ参ります」
「それは転生を実現する魔法。想いをつなぎ、記憶をつなぎ、力をつないで、《転生(シリカ)》をかけられた根源は、新たな生を得ることができます」
「根源を使っての魔法実験です。誰かが冥府に行かねばなりません」
「失敗を恐れ、滅びを厭うは生者の所業。我ら亡霊はただ戦うのみ」
————その日々が続かないことを知った。
その魔法は銀水聖海の秩序 その全てに拒絶される。
もし失敗すれば未来永劫に死の苦しみを味わうことになるだろう。
転生魔法《転生(シリカ)》
その効果を証明するためには、亡霊の死がなければならない。
なぜそのようなことをするのか。
ルナは狂気に思えた。
無謀な挑戦をしてまで滅びを厭わない彼らがかつての祖父と重なったのだ。
そんな中一番は狂気があるとは思えない穏やかな表情で、今まで隠してきた事実をほんの少し彼女に打ち明ける。
「亡霊の里に迷い込んだ生者を、日の当たる場所へ帰してやりたかった。だから、あなたに数字はつけず、皆、姫と呼んだのです」
「我らは死に向かう名もなき騎士。戦いこそが性さが。どこで野垂れ死のうと悲しむ者もおりません」
「……でも、わたしは、きっと泣くわ……」
「一つだけ。気がかりなことが」
「我らは順番に転生します。最後まで団長を見てくださる方がいれば」
「あなたを姫と呼ぶように言ったのは団長ですよ」
はるか未来へ
一番、二番、三番、四番、五番——幻名騎士団は、名付けられた順番に《転生》の実験体となった。
彼は傍でただその魔法の深淵を見つめる。悲壮感もなく、淡々と。ただ、日に日にセリスの瞳は澱んだものとなっていった。
その澱みは見覚えがある。
《渇望の災淵》。自らが胎に宿す幻獣の王。それと同じ存在になってしまうのか。ルナは不安を思えた。
だがルナにできるのはただ料理を作ることのみ。
死にゆく彼らを、止めてあげることができない。だから、せめて美味しい料理を食べてもらいたかった。
今はもうセリス1人だ。
雨が、降っている
最悪も凶報と共にその日は来た。
「失敗した」
静謐な声でエレネシアは言う。《転生》の魔法が失敗したのだ。さすれば彼らは永遠の死の苦しみに囚われることとなる。セリスはいつも通り、厳しい面持ちを崩さない。けれども雨に濡れたその顔が、どうしてか、ルナには泣いているかのように見えた。
「では、次は俺の番だ」
「不可能に挑み、当たり前のように敗れた。亡霊にはふさわしい末路だ」
自らの終わりを察したかのようにセリスは言う、
この海は《転生》の存在を許容しない。
勝てないとわかりながら、滅びるのみと知りながら、それでも戦うことしかしない彼は、まさしく亡霊だった。
彼はエレネシアに自らの輝く瞳を渡し、最後まで闘い抜くという強い意志と共に《転生》の魔法陣に踏み出す————
「最後じゃないわ」
ルナは口をこぼす。彼女はセリスの裾を掴んでいた。
彼は不適合者。
彼は希望のない世界に刃向かう唯一の亡霊。
進化しない世界には奇跡の象徴たる主神がいない。
奇跡など起きるはずがないのだから、滅び去るのは決まり切っている。
そんな彼に運命を夢見た。
自らの王子様であってくれればいいなんて、馬鹿な夢を見ていたのだ。
そして、彼は今、自ら死地に向かおうとしている
彼女の渇望が強く訴える。
運命なんて、宿命なんてどうでもいい。
あらゆる全てを捧げてもいいから、ただ彼を救いたい。勝ち抜いて欲しい、と。
セリスはそんなルナを見て、にべもなく「帰れ」と告げる
「あなたは、本当は可能性を残したい」
「本当は平和が欲しいの。だけど、届かない。だから、次代のためにこの世界に《転生》を遺そうと思ったのね」
「愛する人と一緒なら、ほんのちょっとのスープと堅いパンがあればいい。豪華なドレスがなくたって、自分で縫ったツギハギのお洋服を着ればいい。二人で一緒に見られるなら、綺麗な宝石じゃなくても、小さなガラス玉が一つあればいい」
遠い昔、遠い海の向こうで口にした言葉。
ルナの胸の内に燻り続けた決して消せない渇望。
「なにも、特別はいらない。ありふれた日々でいいわ。穏やかで、優しくて、楽しい、そんな家庭がわたしの夢だった」
「理想と現実は全然違ったの。故郷を追われて、命がけの大冒険。色んな人に助けられて、こんな遠いところまでやってきた。それでも宿命からは逃れられなくて……」
「愛した人は、わたしに振り向きもしない亡霊だった」
「あなたは誰かを愛することはないの。だって、あなたは誰も幸せにはできないから。情がないように振る舞って、義理がないように振る舞って、沢山沢山傷つけて、亡霊みたいに戦い続けるの。この世界に、たった一つ、平和の可能性を遺すために」
亡霊は語らず。
されど彼の澄んだ瞳だけは遠い遠い未来を見つめている。
一番の言った意味がやっとルナは理解した。
彼が平和を求めるために、その渇望を捨てるのなら、自分がそれを拾い集める。
彼が感情を殺した亡霊であるならば、自分は地獄の底で能天気に笑っている亡霊の花嫁となろう。
そう、笑いながらルナは言う。
彼女の胎内には霊神人剣エヴァンスマナ。その剣身が刺さっている。
運命を断ち切るその聖剣ならば、《転生》が成功するかもしれない。
可能性は著しく弱い。
だが、彼女は迷いもせず、彼の隣へ並び立つ。かつての亡霊と同じように。
セリスは一瞥するが、もう拒絶はしなかった。
彼は万雷剣を携え、そこに魔法陣を描く。
雨音が切り裂くように雷が鳴った。
切り抜かれた万雷剣により、ルナの体が光の粒子と化していく
「――最期だ。名を聞こう」
「お前の名だ」
「……ルナ・アーツェノン……」
「……あなたの名前は……?」
「セリス・ヴォルディゴード」
頭をよぎったのは、ルナが自ら口にした問い。
……結婚するとき、不便じゃないの? 名前知らないと……
ただ名を名乗っただけ。
それこそが亡霊とその花嫁の、永遠の誓いだった。
かの亡霊の花嫁は
時は移ろい—
エレネシア世界は潰え、ミリティア世界へと生まれ変わった。
かつての亡霊と姫の想いが届き、霊神人剣が宿命を断ち切ったか、あるいはそれ以上の奇跡が重なったのか、その世界には樹理四神を始めとする輪廻の秩序が存在していた。その秩序と魔法律により、セリス・ヴォルディゴードが目指した魔法は、当たり前のように完成を果たしたのだ。
二千年前、神話の時代
魔族の国ディルヘイドにある女の子が生まれた。
一見普通の赤子にしか見えないその子を両親ははるか昔の世界からの転生者だと結論付けた。
根拠は二つ。
一つはその子は成長していくにつれて「ルナ」という単語を口にするようになっていったこと。
そしてもう一つの根拠は
雨が降るたびに大きな声で泣き、しかし雷鳴が轟くと嬉しそうに笑うこと。
成長のたびに記憶を思い出していくルナは何か大事なことを忘れている気がした。その渇望に突き動かされ家を出た事は数を知れない。だが、そんなルナを両親は心から愛していた。
ある日、ルナたち家族が暮らしていた農耕都市デルアークに激震が走った。
デルアークの領地にある軍勢が攻め込んだのだ。それは名前を持たない血濡れの亡霊。
父は避難のためにルナの母を探しに行った。
父に家で待っているように言われていたが、気がつけばルナは外に飛び出していた。
会いたい。
なにかが強く訴えかける。彼に会わなければならないと思った。
その衝動は本当に前世の記憶なのか。だがきっと思い出すはずだと思った。心だけは、こんなにも彼を覚えている。
半日ほど探すも結局「彼」は見つからず、両親も心配しているだろうと思い、ルナは旅路に着く。
だが、様子がおかしかった。家の中から死の匂いがしたのだ。
ルナが急いで家に入ると————そこにあったのは両親の死骸だった。そばに人形のような姿をした1人の男が立っていた。彼は自らを「幻名騎士団」と呼ぶが、ルナはそれを否定する。記憶はないが、そのような気がしたのだ。だが、その男は容赦なくルナを拘束し、ある赤い糸にてルナを貫き、ある石を使い権能を発揮しようとした。
その時———
どこか見覚えのある雷光が瞬いた。
ルナの魔眼に映るのはいつか見た亡霊。セリス・ヴォルディゴード。
一閃。
その紫電が人形を切り刻む。だが、人形は何やら罵声をセリスに浴びせながら赤い糸で体を繋ぎ、瞬時に体をつぎ合わせた。だが、セリスは球体魔法陣を構築し、それに万雷剣を通し、振るう——
可能性の10本の剣身から細い紫電が天へと昇る。天は慄き、地は震撼し、万雷が世界を激しく照らす。
《滅尽十紫電界雷剣(ラヴィア・ネオルド・ガルヴァリィズェン)》
無限の可能性を開くその暴雷がその人形を滅ぼし尽くした。
人形が滅びたのを確認すると、セリスは振り向き、黙って歩いた。瞬間、ルナの頭の中に前世の記憶が過ぎ去った。それは未来を見通した亡霊との最期。
「ありがとう」
「勘違いするな、女」
「二人にはきっと、またいつか会えるわ。あなたがこの世界にくれた<転生シリカ>の魔法があるんだもの」
亡霊は語らず。
振り向きもせず、足も止めない彼を、ルナは追いかけ、肩を並べた。そして——
「強い母体が必要だ」
「俺の子を産め」
「うん」
感謝をいっぱいに示しながら、彼女は亡霊に笑いかける。笑い返すことのできない彼の分まで、笑ってあげようと思ったのだ。
ディルヘイド。
ある集落にて身重となったルナがいた。
彼女の胎にいる赤子はヴォルディゴードの子。普通の母体ならばその体に宿しただけで死んでしまうのだが、ルナは実に十ヶ月もの間赤子を体に宿していた。それができるのはひとえに彼女が災渦の淵姫だからだろう。だが、その滅びの力は日に日に彼女の体を蝕んでいく。
セリスは数日に一度顔を出し、そしてたいそうな語りもしなかったが、ルナはそれでも嬉しかった。セリスがなぜ亡霊となったのか今世でもあまり理解できてはいない、しかし、その瞳は今も変わらず遠い未来を見通している。彼は誰より強く、なにより厳しく、そして本当はひどく脆いのだ。その彼を愛している。彼を信じている。
だからこそセリスはルナや子に情を見せることができぬのだと。そう、理解していた。
ある日、ツェイロンの血族の集落に滞在していたルナの元にある男が訪問した。その男の名を不適合者グラハム。狂乱神アガンゾンを従え、虚無をその身に宿す男だった。ルナは魔法を使い対抗するが、アガンゾンの権能にてその魔法を書き換えられてしまい、拘束されてしまう。程なくして人間の兵が集落を襲い、グラハムは母胎を使ってある実験をし始めた。
ルナはセリスが来ることを期待してはいなかった。来たとしても彼は助けることをしないだろう。故に、やるべき事は一つだけ一刻も早くヴォルディゴードの子を産むことだ。
ルナは集落の広場に連れ去られ、魔族に恨みを持つ人間にいたぶられ始めた。だが腹の子だけは必死に守る。ルナは感じていた、未来を願う渇望を持った亡霊たちが来ているのが。
その時だった。
腹の中から怒りが爆発したかのように滅びの粒子が渦巻いた。それは母を守るかのように
滅びの力を周囲に撒き散らした。漆黒の炎が壁を作る。
「美しいね。子を守る母の愛情。命を賭して、君は彼を産むんだろう」
「母胎が滅びることで、彼は生を得ることができる。滅びの宿命を背負って」
ルナはグラハムに向かって駆け、《真闇墓地(ガリアン)》にてグラハムと共に暗黒の中に閉じこもる。
グジュ
命が終わる音がした。グラハムがルナの腹を突き刺したのだ。ルナは膝をつき倒れる。それでもお腹だけは必死に守ってた。
「《滅尽十紫電界雷剣》」
瞬間——— その暗雲から雷が落ちるが如く、紫電が疾走し、ガウドゲィモンがグラハムの心臓を貫いていた。その紫電はグラハムの根源を余す事なく消滅させた。その場にはルナと幻名騎士たちが残る。
一番が言う
「……なにか、言うことはないのですかっ?」
「最後に、なにか言ってあげてくださいっ!師よっ!滅びゆく者にぐらい、せめて情けをっ!」
「亡霊の妻に、それは望んでなったのだ」
その言葉が、ルナにとってなによりのはなむけだった。初めて妻と呼んでくれた。ちゃんと彼の妻であり続けることができた。それがルナは何よりも嬉しかった。
「滅びの根源がね、ヴォルディゴードの血統……産まれるのは、それに反しているの……だからね、なにかが代わりに、死ななきゃならないの……ヴォルディゴードの妻となった者の宿命なのよ……」
「……滅びる母胎が……アノスには一番……。これでいいの」
「……ありがとう……」
そばにいさせてくれて。
あなたの子供を産ませてくれて。
亡霊の妻らしく逝かせてくれて。
「……アノス。生きて、誰よりも強い子になって……お父さんを、助けてあげてね……」
やがてルナは喋ることが出来なくなる。息絶える時が近いのだ。
ルナの最後の気持ちが溢れ出す。
セリスのことを愛していた。
彼の気持ちを自分だけが知っている。
だが——
——なにもいらない——
——結婚なんてしなくていい——
——ありふれた家庭もいらない——
——穏やかな日々も、なにも——
——だけど——
——ぜんぶいらないと思ったけれど、
胸の奥に一つだけ、どうしようもない渇望が残っていた——
——わたしは——
——あなたの言葉が欲しかった——
どくん
胎動が、鳴り響く
名もなき騎士たちがその姿を看取る中、産声を上げるように、黒き炎が轟々と立ち上る。
母の手を、赤子の手が力強くつかむ。
滅びとともに、この世に産み落とされた。大きな母の愛を受けて。
それが、魔王アノス・ヴォルディゴードの誕生の瞬間だった。
——根源は輪廻し、命は循環する——