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ミハイル・ゴルバチョフの編集履歴

2021-08-07 12:44:11 バージョン

ミハイル・ゴルバチョフ

みはいるごるばちょふ

ソビエト連邦の政治家。第7代ソビエト連邦最高指導者

・ロシア語:Михаил С.Горбачёв

・英語:Mikail・S・Gorbachev

(1931年3月2日 - )


概要

1931年3月2日にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のスタヴロポリ地方プリヴォリノエ村にて、コルホーズ(農業集団化政策)の農民の子として誕生する。本名はミハイル・セルゲイヴィッチ・ゴルバチョフ。第7代ソビエト連邦最高指導者で、党中央委員会書記長、第11代最高会議幹部会議長、初代最高会議議長、初代大統領を歴任した。共産主義者。最後の党書記長(赤い皇帝独裁者)にして最初で最後の大統領として有名である。1985年3月11日に書記長に就任した当初は穏健的な改革志向者でしか無かったが、チェルノブイリ原子力発電所の事故の報告が自分のところに来たのが外国の公式発表より遅かったことからソ連の官僚機構の腐敗ぶりを痛感し、グラスノチ(情報公開)・ペレストロイカ(建て直し)を叫んで急進的かつ大胆な改革者に変貌した。


その結果アメリカを初めとする西側諸国との関係は急激に改善されたが、国内的には情報公開はレーニンスターリンから続くソ連の栄光の歴史を誇りにしている保守派の、あくまでソ連を維持しようとする姿勢は政治的自由を得た民族主義的独立派の双方の怒りを買う羽目になった。そして8月クーデターにゴルバチョフの側近を含む共産党官僚が多数参加したことから、共産党の求心力が完全に失墜し、民族主義の台頭を抑えきれずに崩壊へと一直線に進んだ。


評価

西側諸国ではソ連の指導者にあるまじき自由主義的な改革姿勢から絶大な人気を誇っているが、一方でロシアを筆頭に旧ソ連諸国では就任当初を除いて在任中から現在まで不人気であり続けている。というのも世界を二分する超大国であったソ連を急激な改革で崩壊させた張本人であると認識されているからであり、国営企業がほとんどの共産主義国で育った大人たちにとって、私営企業が乱立する自由主義経済というもの(それと1990年代の経済混乱)がとても理不尽で受け入れ難かった。


曲がりなりにも超大国であったソ連に誇りを抱いていた者も多く、超大国から滑り落ちてしまった無念や先述の経済混乱によりソ連時代を懐かしむ者も多かったのが不人気の一因となっている。

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