同治帝どうちてい
咸豊6年3月23日(1856年4月27日) - 同治13年12月5日(1875年1月12日)
在位:1861年11月11日 - 1875年1月12日)
中国清朝の第10代皇帝
諱は載淳。廟号は穆宗(ぼくそう)
- 在世時の元号の同治を取って同治帝と呼ばれる。
概要
- 王朝 清
- 在位期間 1861年11月11日 - 1875年1月12日
- 姓・諱 愛新覚羅載淳
- 諡号 継天開運受中居正保大定功聖智誠孝信敏恭寬毅皇帝
- 廟号 穆宗
- 生年 1856年4月27日(咸豊6年3月23日)
- 没年 1875年1月12日(同治13年12月5日)
- 父 咸豊帝(長子)
- 母 孝欽顕皇后(西太后)
- 陵墓 恵陵
- 年号 同治 : 1862年 - 1874年
同治中興
- 西太后に信任された李鴻章により、政治と軍隊の洋化が進められ、対外政策にも柔軟な対応を見せた(洋務運動)。また漢族軍隊により捻軍の乱を終結させた。この時期に僅かながら清の国勢は復活し、同治中興と呼ばれる事もある。
- 1874年、西郷従道率いる日本軍が台湾を占拠した(台湾出兵)。