簗田政綱とは織田信長に仕えた戦国時代の人物である。出自、生没、共に詳細はハッキリしていないが、一説には桶狭間の戦いにて今川義元の首を挙げた毛利良勝(毛利新介)に増して論功行賞を受けた事から、桶狭間山に陣取る今川義元の本陣位置を織田信長に報告した人物とされている。
故に情報で手柄を立てた人物と云う事で、密偵とされたり忍びとされたりと中々に想像力を掻き立てられる人物であるが、史実としてハッキリしている事は、
・簗田某という人物が存在した事。(実は政綱という諱も推定である)
・当初は尾張守護である斯波義統に仕えたが、後に織田信長に仕えたという事。
・桶狭間の戦いの戦功で沓掛三千貫の知行と、九之坪城を与えられた事。
・加賀の一向一揆鎮圧に失敗して安土城下に蟄居したであろう事。
・没年は天正七年六月六日だろうという事。
・子に簗田広正がいるという事
というレベルである。特に、桶狭間の戦いでどの様な功績があって第一功とされたかが不明である点について史料の発掘が待たれる。