概要
貞和4年(1348)頃に記されたとされる播磨国の地誌『峯相記』にその記述がみられる鹿の化け物。
記述によればその昔、播磨国宍粟郡の安志(兵庫県姫路市安富町)に出没したとされる、何百年もの歳月生きてきた体長6mある大鹿で、その巨大な角は七つに分かれ、背中には笹、若しくは苔が生えており、目は日光の様にらんらんと光り、一説には足に水搔きが備わっていたとされる。
凶暴な性格で、数千頭の鹿を従え野山を荒らし回るばかりか、人々を襲って食い殺していたとされ、当時の人々はその名を聞いただけで震え上がったといわれている。
その暴れ方は年々ひどくなって行き、遂には人里までおりてきて大暴れする様になった為、この話を聞いた帝は勅使を遣わして国中の衛士を集めて伊佐々王退治に乗り出し、激戦の末に遂に滅ぼされたという。
なお、姫路市安富町にある「鹿が壺」と呼ばれる滝壺の連なりは、この時の戦いで伊佐々王が荒れ狂いの立ち回った結果、形作られたものであるとされており、さらに最奥部にある鹿が横たわったような形の滝壺は、追い詰められた伊佐々王が最後の力を振り絞って「このあと消ゆることなかれ」と岩の上に己の姿を残し力尽きた際に出来たたといわれている。
また「安志」という地名の由来は、伊佐々王が退治された事で人々が安どして帰って来た事に由来するといわれている。