概要
在位 | 218年 - 222年 |
別号 | ウァリウス・アウィトゥス・バッスス |
全名 | カエサル・マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス |
出生 | 203年3月20日 エメサ |
死去 | 222年3月11日 ローマ |
継承 | アレクサンデル・セウェルス |
妻 | ユリア・コルネリア・パウラ、アクウィリア・セウェラ、アンニア・アウレリア・ファウスティナ |
夫 | ヒエロクレス |
子女 | アレクサンデル・セウェルス(従兄弟・養子) |
王朝 | セウェルス朝 |
父親 | セクストゥス・ウァリウス・マルケルス |
母親 | ユリア・ソエミアス・バッシアナ |
- 「ヘリオガバルスに比べればネロがアウグストゥスに見えちゃう」byエドワード・ギボン
- 「あんなクソガキとくらべられたくない!!!!!!」byネロ(ローマ皇帝)
- 「始末せよ(機械的な感じで)」byアウグストゥス(初代ローマ皇帝)
CAESAR MARCVS AVRELIVS ANTONINVS AVGVSTVS
(HELIO-GABALVS)
セウェルス朝の第3代当主。ヘリオガバルス(Heliogabalus)という渾名で呼ばれる事が多く、これはオリエントにおけるヘーリオス信仰の派生系である太陽神エル・ガバルを信仰したことに由来する。
セウェルス朝の初代皇帝セプティミウス・セウェルスの外戚であるバッシアヌス家の出身
元の本名はウァリウス・アウィトゥス・バッスス。
セウェルスの長男であったカラカラ帝が暴政の末に暗殺されるとバッシアヌス家は追放されるが、彼の母ユリア・ソエミアスは密かに復権の謀議を画策した。
血統上、カラカラ帝の従兄弟にあたるソエミアスは自身が夫と儲けた子息アウィトゥス(ヘリオガバルス)が先帝の落胤であると主張して反乱を起こした。
戦いは帝位を得ていたマクリヌス帝の敗北に終わり、セウェルス朝の復権を名目に僅か14歳のヘリオガバルスが皇帝に即位した。 なぜだ・・・なぜ敗北したのだマクリヌスよ。
楽園や・・・ここはこの世の楽園や・・・!
彼の統治はしばしば今までも登場した暴君達の悪名すらも越える、ローマ史上最悪の君主として記憶される事となった。
ヘリオガバルスは極めて退廃的に性生活へと没頭し、しかもその性癖は倒錯的で常軌を逸していたと記録にはある。
忌まわしき所業の数々
- 所神殿内に飼っている猛獣に切り落とした男性器をエサとして与えたり、猛獣の生贄として少年を与えていた。
- 町の娼館で女に客を取らせ商売し、また自ら娼婦として男性客の相手をした。
- 公共浴場では女風呂に入り、痴態の参考にする為に女性を観察した。
- 部下に命じ、公共浴場や波止場で屈強な男を探させ宮殿内に連れ込んでは相手をさせた。
- 女装癖があり伴侶の男にわざわざ浮気をしているのを見せて、殴られるのを嬉しがっていた。
こ、これ以上は・・・。 とてもローマ皇帝とは思えん・・。
また宗教面でも従来の慣習や制度を全て無視してエルガバルを主神とするなど極端な政策を行った。
まさに皇帝権力を盾に「ヤリ」たいほうだいであり、(BL系)酒池肉林という言葉がふさわしい。
歴史家からも無かったことにされた。
ヘリオガバルスの退廃した性生活についての話題は彼の政敵によって誇張された部分があると見られているにもかかわらず、後世の歴史家も余り中立的にヘリオガバルスへ触れる事は無くエドワード・ギボンに至っては「醜い欲望と感情に身を委ねた」として最悪の暴君と評価している。
「ヘリオガバルスという名の印象は、彼自身の退廃によって決定付けられた」とバルトホルト・ゲオルク・ニーブールは評している。
その最期 駄目だこいつ…早く何とかしないと…(帝臣たち)
19歳になる誕生日のわずか9日前の222年3月11日、反乱が起こりヘリオガバルスはローマ帝国親衛隊に母とともに処刑され、遺体はティベリス川へ投げ込まれた(よく罪人を投げ込む川であり、ウィテリウス皇帝も投げ込まれた)。