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二式水戦の編集履歴

2012-01-25 20:36:21 バージョン

二式水戦

にしきすいせん

日本の開発した水上戦闘機で、制式名称は『二式水上戦闘機』。零戦11型をベースにフロートを追加しており、空戦性能はもちろん零戦ゆすりである。南方の島嶼やアリューシャンなどで使われた。本来は水上戦闘機『強風』の開発が長引いたため、急遽のピンチヒッターとして登場した。結局、「強風」は最後までモノにならず、二式水戦は日本の水上戦闘機を代表する機体となった。

代打手は二式水戦

1939年、海軍は本格的な水上戦闘機「15試水上戦闘機(のちの『強風』」の開発に着手する。

しかし開発作業は難航を極め、太平洋戦争の南方侵攻作戦には間に合わない事が明白となった。

そこで急遽開発されたのが、この『二式水戦』である。


中島飛行機の零戦水上機?

この二式水戦は三菱の開発ではない。

当時、三菱は零戦一式陸攻の増産に追われており、

また中島飛行機は水上機の開発にも慣れていた事が理由である。


中島飛行機

当時の日本の戦闘機爆撃機などの殆どが中島飛行機製である。

中島飛行機は東洋最大の航空機メーカーであり、陸海軍の航空機生産の要であった。

終戦後は「財閥解体」により、いくつかに分社化された。

その中で最も有名なのが『富士重工』であり、『スバル』である。


ゼロ戦との違い

二式水戦は三菱零戦11型を基にフロートを追加し、電気系統に防水処理を追加。

空母運用のための装備もすべて撤去された。

また、安定性を高めるために垂直尾翼を増積して、方向安定板も追加した。

フロート絡みの部分以外はすべて零戦に準じている。


実戦

いくら性能が高いと言っても、それは『水上機としては』という但し書きが加わる。

グラマン戦闘機の撃墜記録もあったが、

既に性能は戦局に応じたものではなく、1943年に生産は終了した。

総生産数は327機。

これは水上戦闘機として世界最多の生産数である。


終戦時は24機が残存していたが、すべて処分されていて現存機体は無い。

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