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藤原忠雅の編集履歴

2021-12-14 20:57:27 バージョン

藤原忠雅

ふじわらのただまさ

藤原忠雅とは平安時代後期の公卿。

概要

父は藤原忠宗、官位は従一位、太政大臣、花山院忠雅ともいう。


プロフィール

時代平安時代後期-鎌倉時代
生誕天治元年(1124年)
死没 建久4年8月26日(1193年9月23日
官位従一位、太政大臣
主君崇徳天皇近衛天皇後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇
氏族花山院家
父母父:藤原忠宗、母:藤原家保の娘
兄弟忠光忠雅忠親三条実行
藤原家成の娘
兼雅、ほか

経歴

天治元年(1124年)に誕生、以降右近衛少将・左近衛少将に就任し永治2年(1142年)に従三位となる。後に参議権中納言に進み。永暦元年(1160年)に権大納言、仁安2年(1167年)に内大臣、仁安3年(1168年)に太政大臣に就任した。


外部リンク

藤原忠雅 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公卿 平安時代  藤原北家 花山院家

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