概要
爆弾を高高度の航空機から精確に落とすことは難しい。飛行速度や高度、温度、湿度、風速などが複雑に影響し、これらを全て計算するのは難しい事だった。
とはいえ誤差の少ない低高度から攻撃しようとすると、敵の対空砲火に身を晒すこととなり撃墜されやすくなってしまう。
この問題を解決するため、高高度から標的に接近し、一気に降下して低高度から爆撃を行うことで、対空砲火に晒される時間を減らしつつも効果的な爆撃を行おうというのが、急降下爆撃である。
急降下で加速がついた機体を引き起こす大きな荷重に耐えられるよう、機体強度を上げる必要があり、一方で引き起こしの速度や爆撃制度のためには運動性は犠牲にできない。その分は爆弾の搭載量に皺寄せが行き、九九式艦上爆撃機で250kg、Ju87で500kgなど、大型の爆弾を搭載するのは難しかった。
こうした急降下爆撃の特質は、濃密な対空砲火に突入することを迫られる対艦攻撃や、誤爆を避けるために高い精度が求められる近接航空支援などで活用されることになる。
また戦闘機に比べると飛行性能は劣るが、パイロットの腕前次第では空中戦で通用した。前方機銃は自衛だけでなく、敵戦闘機に対する迎撃に使用されたこともあった。
歴史
第一次世界大戦で航空機が軍事目的で使われるようになると、爆撃の精度を高める研究が盛んになり、高度・速度などの条件を取り入れて落着地点を計算する照準器などが開発された。
同時に、正確な爆撃のために編み出されたのが「急降下爆撃」である。
この分野ではアメリカがリードし、1919年には世界で初めて実戦で活用し、海軍も雷撃機よりは急降下爆撃機を重視する傾向が強かった。
1933年のアメリカでの急降下爆撃のデモンストレーションを見学したドイツの元エースであるエルンスト・ウーデットは感銘を受け、貧乏国のドイツには高中空から爆弾を大量にばらまくよりも正確無比な急降下爆撃こそコスト面でも相応しいと考える。
帰国後、今まで旧戦友の空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングの勧誘を渋っていたドイツ空軍への入隊をしてまで、この戦法を空軍内に広め、第二次世界大戦のドイツ空軍の地上支援などに貢献した。
第二次世界大戦初頭でのドイツ軍の電撃戦では地上部隊の障害を潰す空飛ぶ砲兵としてドイツの急降下爆撃機であるJu87がポーランド、フランス、ソ連などで活躍した。
またJu87は軍艦にも効果を発揮し、特に1941年のクレタ島を巡る攻防戦では、陸軍支援を行う英地中海艦隊の巡洋艦1隻、駆逐艦3隻を撃沈し、他にも多くの艦艇を損傷させた。また旧式化した後も1943年のドデカネス諸島戦役では適切な条件下にあれば未だに効果を発揮する事を証明した。
一方でドイツ軍の急降下爆撃愛は少し行き過ぎな面もあり、4発重爆にすら急降下爆撃能力を求めるようになり、複数の機体の開発に悪影響を与えてしまった。
He177はその最大の犠牲者である。
太平洋戦域では日本の九九式艦上爆撃機、アメリカのSBDドーントレスなどが活躍し、特にインド洋での英海軍艦艇に対する高い命中率や、ミッドウェー海戦での奇襲による日本空母2隻撃沈、2隻大破などが有名である。また五回行われた空母戦では南太平洋海戦までは急降下爆撃による爆撃を受けて被弾せずに無傷で終えた空母は日米両軍とも存在しなかった。
終焉
急降下爆撃の最大の利点は、対空砲火を避けながら低高度爆撃ができることであった。
しかしながら航空機の速度性能が向上してくると、ダイブブレーキを展開しながら急降下するよりも、ブレーキをかけずに緩降下した方が対空砲に晒される時間が短くなってくる。
緩降下であれば引き起こしも容易であるため急降下爆撃よりもさらに低高度での爆撃も可能であり、急降下爆撃を試みる意義はなくなってしまった。SB2Cなども第二次世界大戦大戦終盤には緩降下爆撃を行うことが多くなっている。
急降下爆撃が行われないのであれば専門の急降下爆撃機も必要なく、急降下爆撃機はジェット機の時代の到来とともに急速に姿を消していくこととなった。