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廃藩置県の編集履歴

2012-02-12 21:52:51 バージョン

廃藩置県

はいはんちけん

明治初期における行政改革。内務卿大久保利通が大名が支配する265年間存在した藩を廃止し、行政組織である府県を設置する決定をくだした。 これがきっかけで大久保は武士の怨みをかい惨殺されるにいたる。

「廃藩置県」は明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に。内務卿大久保利通が大名が支配する265年間存在した藩を廃止し行政組織である府県を設置する決定をくだし、行われた行政改革。


廃藩置県によって「」を廃止し、「」と「」に一元化し地方と中央政府が一体となった(統一国家化)した。


廃藩置県のながれ

廃藩置県が行われ、現在の都道府県のようになるまでには明治4年(1871年)~明治21年(1888年)までの17年ほどかかった。


明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県

各地にあった藩が廃止されて「県」になる。この時点での県の数は306県。


府県合併(1回目)

明治4年10月から11月にかけて府県合併が行われる。この合併で県の数は75県となる。

全国75府県図


府県合併(2回目)

明治9年(1876年)4月と8月に2回目の府県合併が行われる。以後、明治21年(1888年)12月まで調整が行われて現在の47道府県となるが、その後も府県境界の変更、樺太編入などの変転があった。


※形式的に清の属国(册封国)の扱いだった沖縄の廃藩置県は他府県より遅れ、1879年に行われた。この年琉球藩が廃止され、沖縄県庁が設置された(琉球処分)。


東京都ができたのは戦後の1943年(昭和18年)7月1日から。東京市と東京府が廃止され、合併するようなかたちで東京都が設置された。当時の地方行政組織は「庁府県」と呼ばれ、「1都2庁2府43県」(「庁」は北海道庁と樺太庁)が存在した。北海道庁が北海道となり、都道府県と呼ばれるようになったのは戦後のことである。


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