大学を中退後渡米、その後職を転々とし、シナリオスクール「東京山手YMCA」のシナリオ講座に入学し伴一彦の弟子となる。
1988年に「時には母のない子のように」でデビュー。
当初はトレンディドラマの脚本を務めることが多かったが、1993年の「高校教師」以降、過激な路線が多くなり、近親相姦、障害者への虐待、いじめなどのタブーや社会問題を扱ったドラマを次々と手がけ話題を呼んだ。しかし、1998年の「聖者の行進」で過激すぎる内容が賛否となったため、2000年代以降はマイルドな路線に転じた。
タイトルを過去の文学作品から引用することが多い。