九鼎
きゅうてい
古代中国に存在したとされる祭器。
夏王朝の始祖・禹王が中華九州(中国全土)から聖堂をかき集めて鋳造させた鼎。
王権の象徴(西欧における「レガリア」)だったが、秦の始皇帝が誤って紛失し、以後は始皇帝の玉璽(伝国璽)が取って代わった。
概説
中華九州(=中国全土)から青銅をかき集めさせ、鋳造したとされる。
九州の各州から一つずつ、すべてで九つ分を献上させたことから「九鼎」と呼ばれた。
春秋戦国時代まで「九鼎を擁したものが中華の王である」とされ、西欧におけるレガリアと同様のものとして珍重されてきた。
そのため九鼎の大きさや重さなど、その形状を問うことそのものが「王権への宣戦布告」とまで看做され、決して九鼎の在り方を軽々しく聞いてはならなかった。
「問鼎軽重(もんていけいじゅう)」の故事はここに由来する。
のちに始皇帝が秦による天下統一を成し遂げて洛陽から九鼎を運び出そうとした際、途中にある泗水(泗河)を渡る最中に誤って落としてしまい、それ以来は行方知れずとなってしまった。
関連する言葉
一言九鼎
【いちげんきゅうてい】
その一言が九鼎にさえ値すること。
つまり国家の趨勢にさえ及ぶ重大な発言という意味。
元は「一国の臣将の発言の重み」を戒めるための言葉。