概要
現在の岡山市周辺を領した藩。支藩とした鴨方藩と生坂藩があった。
戦国時代は宇喜多家が治めていたが、関ヶ原の戦いで西軍についたことで宇喜多秀家は八丈島に流された。
代わりに関ヶ原の戦いのキーパーソンとして知られる小早川秀秋が入ったのだが、江戸幕府が成立する前に亡くなってしまった。
次に池田家が入り二代続いたが、三代目が幼かったため鳥取藩の池田家と領地を交換した。
日本初の藩校「花畠教場」を造り、庶民のために閑谷学校を造るなど教育に力を入れていた。
1700年には後楽園が完成した。
岡山の名物料理ばら寿司は「食膳は一汁一菜とする」という倹約令への対抗策として生まれたと言われている。