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玄広恵探の編集履歴

2022-08-24 15:13:39 バージョン

玄広恵探

げんこうえたん

玄広恵探とは今川氏親の三男である。一説では今川良真(いまがわよしざね)とも言われた。後に弟・義元と争ったが敗れて自刃した。(1517年-1536年)

生涯

父は今川氏親であり象耳泉奘今川義元氏豊の異母兄。氏輝、彦五郎の弟に当たる。


象耳泉奘と今川義元(当時栴岳承芳)と同様早くに出家して花倉の遍照光寺の住持となる。


1536年、今川家当主の氏輝とその次弟・彦五郎が相次いで急死したので家督を継ごうとしたが、氏輝の母である寿桂尼や太原雪斎が弟・今川義元を指した為に後継者になれなかった。


しかし恵探の母の父である福島正成(北条綱成の父)はこれに反発し、恵探を後継者に指した。恵探は還俗して今川良真と名乗り、花倉城を本拠地とした。


そして久能山で挙兵し、倍の兵力で今川館攻めを行ったが、義元の采配もあって今川館の守りは堅く結局襲撃は失敗。


その後、義元が北条家と組むと次第に劣勢に立たされ、支城である方ノ上城が岡部親綱(岡部正綱岡部元信の祖父で岡部久綱の父。)に落とされると花倉城を攻められる。良真は抵抗するが、支えきれず逃亡したが、最後は瀬戸谷の普門寺で自刃した。享年19歳。


今川良真と今川義元の兄弟が争った戦いを「花倉の乱」と呼ぶ。


逸話

桶狭間の戦い直前に義元の枕元に現れて桶狭間の奇襲の旨を伝えた。

しかし義元はそれを自分を貶めるための罠とし信じず、その結果桶狭間の戦いに至った。


現代の評価

特に知られていない。

今川義元や、花倉の乱を知っていても負けた方はあまり知られていない。

そのせいで創作物にもあまり出てこない。(出ててもモブだったりやられ役だったり)


創作物での玄広恵探

信長の野望シリーズ


天道PKで初登場したが、本人の能力は微妙。イベントでは玄広恵探名義で出るが、ノーマルプレイ時は今川良真名義で登場する。


戦国大戦


『久しぶりだなァ! 我が弟よ!』

メイン画像の姿で実装。

今川家に所属する槍足軽でレアリティはC。

1,5コストで武力5統率5伏兵持ちのバランス型の優秀なスペックをした妨害持ちの槍足軽。

計略「戦禍の調略」は士気4の妨害計略で、敵の武力-3統率-5をする代わりに最大士気に-2される計略。

最大士気-2があってもここぞの場面では活躍するには十分であり特に終盤の攻防では力を発揮しやすい。

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