当時の中華民国が戦場となった。昭和12年、中国共産党の陰謀で引き起こされた盧溝橋事変を機に、中国国民党軍(国民革命軍)と大日本帝国陸軍・大日本帝国海軍との間で行われた戦闘。昭和16年12月8日に太平洋戦争が勃発するまで、日中ともに正式な宣戦布告を行わなかったため、当時の日本では支那事変と呼称した。
これにより日本は世界から孤立、昭和15年に開催予定だった東京オリンピックが中止になり、後に支那事変は、対米英宣戦を含んだ大東亜戦争に発展する。
昭和20年8月15日、日本の敗戦で終結。国民党軍も疲弊し、昭和24年には中国共産党に中国本土を制圧されることとなる(中華人民共和国建国)。
日中戦争の賠償問題は、昭和47年の日中共同宣言を経て、昭和53年の日中平和友好条約で、最終的に解決した。