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後の伊東四朗の編集履歴

2022-12-04 18:33:33 バージョン

後の伊東四朗

ほうじょうまさむら

”後の伊東四朗”とは、北条政村である。

概要

2022年11月27日『鎌倉殿の13人』第45話終了後、新たなキャストが発表された。


 北条政村:新原泰佑

  義時の五男、のえの愛愛の息子。


2001年大河ドラマ北条時宗の北条政村

作中でも執権連署、そして北条一族の長老として存在感を発揮するが、一方で史実の思慮深さをもった人物とは異なり狸親父のような食えない人物として描かれている。時頼長時、それに足利頼氏が相次いで亡くなった際に行われた鬼払いでは鬼役も務めた。

その直後、時宗が時輔を六波羅に追放することと引き換えに執権就任を辞退し、自身に執権職就任の白羽の矢が立った際は「母上(鎌倉殿ではのえにあたる)、とうとうやりましたぞ」と小躍りをして喜び、それまでの侍烏帽子に替えて立烏帽子を新調するなど、執権職へのこだわりと喜びを表した。

ちなみに政村は、時宗の異母兄・時輔の処遇について「いっそ、あの世に追放したらどうじゃ?」と一貫して主張しており、後に時宗が時輔の討伐を決めた際にも「よう決断なさった」と、その決断を評価している。


同作では前述した狸親父としての側面を強調するためか、仮病を使ってのらりくらりと難題をかわそうとする事も多く見られた。政村自身はそうした態度について、「意見が2つに割れている中で、執権たるわしが片方に賛成する意を示すと、必ずもう片方が反発して騒ぎが起こる」と説明、これを正当化していた。

しかしこうした行状が積もり積もった結果、第30話で本当に病に倒れた際には評定の場に居合わせた全員から「いつもの持病でござるか」と仮病扱いされる結果となった。唯一、評定の場から去らず病が本当である事に気付いた時宗に対し「己の手に余る曲者を泳がせる器量を持て」との訓戒を残し、そのまま病没という形で物語より姿を消す事となる。


上記のように大河ドラマ『北条時宗』では食えない人物として描かれており、この人物を『鎌倉殿の13人』では新原泰佑、『北条時宗』では伊東四朗が演じている。

関連タグ

鎌倉殿の13人 北条時宗(大河ドラマ) 北条政村

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