マルティン・ルター
まるてぃんるたー
概要
マルティン・ルター(Martin Luther)とは、16世紀ドイツの宗教改革の創始者である。
1483年11月10日、ドイツのアイスレーベンに生まれた。父は農夫で、ルターに弁護士になることを命じた。エアフルト大学で法学を学ぶ。ルターは夏の休暇中、雷雨に見舞われた。これにより馬車の運転手が落雷で命を落とす。自分の命も危うくなったルターは「聖アンナ(聖母マリアの母)よ、私は修道士になります!」と叫んだという。この落雷体験をキッカケにアウグスチノ隠修士会の修道士となり、1512年には神学博士となった。
当時のカトリック教会が「免罪符」という、金を払えば天国に行けるという、聖書の教義に反した契約書を信者に売って儲けていた。1517年10月ルターは「95ヶ条の提題」によってローマ・カトリック教会の信仰改革運動を始めるが、受け入れられずに破門された。
その後、「信仰義認論」を唱えて、カトリック教会の聖職位階制度と修道制を否定し、宗教改革運動の立役者となり、プロテスタント教会の源流をつくった。
ユダヤ人に関しては当初はそんなに嫌っていなかったようだが、なかなか改宗しないことに腹を立て反ユダヤ主義者になった。著書「ユダヤ人と彼らの嘘について」で彼らを徹底的に批判している。反ユダヤ主義は陰謀論に過ぎず、聖書の教えに反したものなので、鵜呑みにしないように。
カトリック教会からみたルター
イグナチウス・デ・ロヨラが彼を倒して踏みつけたり(カミーロ・ルスコーニ作、イタリア・ローマの聖イグナチウス教会所蔵)、さらに追い打ちに雷っぽいものを顔面に突き付けている彫刻(チェコの首都プラハの聖ニコラス教会所蔵)が教会堂に置かれたり、守護天使を通じて地獄に落ちたルターを幻視したというマリア・セラフィナが列福されたり、ピオ神父などの聖人も彼が地獄に落ちているとコメントしたりとカトリック教会では長らく不倶戴天の敵として扱われていた。
が、2020年にはルターによる宗教改革500周年を共同で記念したり(ローマ・カトリックと宗教改革500年)と現在ではカトリック教会内で再評価の機運が高まっている。
関連作品
- 樋口雅一/まんがキリスト教の歴史下⋯ルターとカルヴァンにつきて分かりやすく描写されている。