解説
創設年 | 1964年 |
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加盟年 | 1991年 |
消滅年 | 1998年 |
ホームスタジアム | 三ツ沢球技場 |
クラブカラー | 青と白 |
マスコット | とび丸 |
クラブ名は、ドイツ語で「翼」を意味する「flügel」から。愛称は「フリエ」であり、現在は横浜FCの愛称・クラブ法人名に引き継がれている。
歴史
創設期
1964年に横浜市中区スポーツ少年団として設立、1979年に全日本空輸(全日空)を親会社として全日空横浜サッカークラブと改称して翌年より日本サッカーリーグ1部に参加する。しかし1985年に企業クラブ化へ異議を唱える一部の選手がボイコットを起こす内紛が起き成績は低迷した。1988年の全日空サッカークラブへの改名を経て、1991年にJリーグに加盟。同時に横浜ASフリューゲルスにチーム名を改名した。
突然の消滅
1994年、チームは横浜フリューゲルスに改称するが、毎回2ndシーズンになると低迷していた。この頃、佐藤工業・全日空は経営が悪化し赤字の補填が困難になりつつあった。
1998年10月29日、マスコミにすっぱ抜かれる形で横浜マリノスへの吸収合併が突然発覚する。
当事者である両チームだけでなく多くのチームサポーターも合併反対の声を上げ、チームメンバーは合併は誤りである事を証明しようと試合に勝ち続けたが、結局合併の流れを止める事が出来ず12月2日に調印が行われ、このシーズンを以てチームが事実上消滅することになった。
最後の大会となった天皇杯にて、最後の勇姿を見せようとチームは一丸となり勝ち進み1999年1月1日の決勝戦、対清水エスパルス戦で勝利、天皇杯優勝を最後の栄光として消滅した。試合後、NHKアナ・山本浩が発した「私たちは決して忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場、空はまだ横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」は、日本サッカー界の名実況として語り継がれている。
合併チームは翌シーズン以降横浜F・マリノスとして活動。
所属していた選手
※記事のある人物及び日本代表経験者を記載。
以下、解散時に在籍した選手
関連タグ
- 横浜FC / Y.S.C.C.横浜
- 当クラブを歴史上源流と見做せる2つのサッカークラブ(※「歴史上」と書いたのは、2クラブともに厳密に言及すると横浜フリューゲルス(全日空横浜サッカークラブ)が直接の設立母体では無い為)。前者は横浜フリューゲルス消滅後に存続運動に関わっていたサポーターを中心に結成され、後者は前身の全日空横浜サッカークラブ時代のボイコットに関わった選手たちで結成されている。そして、元々Jリーグ参入を"目指していた"(前者)と"目指していなかった"(後者)の点も大きな違いがある。余談だが、後者がJリーグ参入をするきっかけとなったのは他ならぬJリーグ自身であり、J3創設時に置いて数合わせも兼ねて参入することを誘った。