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大橋秀行の編集履歴

2023-05-04 17:00:54 バージョン

大橋秀行

おおはしひでゆき

大橋秀行は元プロボクサー、現・大橋ボクシングジム会長。(右側の人物。)

概要

1965年3月8日生まれ、神奈川県横浜市出身。

現役時代はヨネクラボクシングジム(2017年8月末閉鎖)所属。

WBC世界ミニマム級ならびにWBA世界同級王座を獲得。


兄の大橋克行もプロボクサーとして活躍した。(山際淳司の「逃げろ、ボクサー」のモデルになっている。)


来歴

中学時代から地元の協栄河合ジム(現・神奈川渥美ボクシングジム)に所属。

横浜高等学校に進学、2年生でインターハイ・モスキート級制覇。

専修大学に進学、1年生でロス五輪予選を兼ねた全日本選手権出場するが敗れ、後に中退。


その後米倉健司のスカウトを受け、協栄河合ジムの先輩だった花形進元WBA世界フライ級王者指導者としてWBA世界ミニマム級チャンピオン・星野敬太郎を輩出)の勧めもあり、1985年2月12日にヨネクラジムからデビュー。

1986年6月23日、6戦目で日本王座初挑戦。空位のライトフライ級王座を野島嘉章と争い、10回判定勝ち。王座獲得に成功(1度も防衛することなく王座返上)。

1986年12月14日、続く7戦目で世界初挑戦。敵地でWBC世界ライトフライ級王者張正九(韓国)に挑むが、5回TKO負けで王座獲得ならず。

1988年1月11日、日本王座再挑戦。ライトフライ級王者喜友名朝博に挑み、10回判定勝ち。1年半ぶりの王座返り咲きを果たす(1度も防衛することなく王座返上)。

1988年6月27日、世界再挑戦。後楽園ホールで張正九に再度挑むも8回TKO負けでまたしても世界王座獲得ならず。

1990年2月7日、階級を1つ下げ、後楽園ホールでWBC世界ミニマム級で級王者崔漸煥(韓国)と対戦。9RKO勝利、王座獲得と共に、国内ジム所属選手の世界挑戦連続失敗回数も「21」で止めた。

1990年6月8日、初防衛戦。元王者ナパ・キャットワンチャイ(タイ)と対戦、12回判定勝ち。

1990年10月25日、2度目の防衛戦でアマ・プロ通じて66戦無敗のリカルド・ロペス(メキシコ)と対戦したが5回TKO負け。

一度は引退も示唆したが1991年に再起。

1992年10月14日、2年ぶりの世界戦を両国国技館でWBA世界ミニマム級王者崔煕庸(韓国)に挑み12回判定勝ちで世界王座返り咲き。

1993年2月10日、東京体育館で無敗の指名挑戦者チャナ・ポーパオイン(タイ)と初防衛戦をするも、12回判定負けを喫し王座陥落。

その後眼疾が発覚、1994年2月7日に引退表明とジム開設の記者会見を行った。


ボクシングのスタイルはアウトボクシングからプロ入り後はインファイトに転向。

パンチの威力はミニマム級ながら6階級上のスーパーフェザー級選手をスパーリングでKOした逸話もある。

指導者としても大橋ジムから世界王者として、

  • 川嶋勝重(WBCスーパーフライ級)
  • 八重樫東(WBAミニマム級、WBCフライ級、IBFライトフライ級)
  • 宮尾綾香(WBAライトミニマム級王者)
  • 井上尚弥(WBCライトフライ級、WBOスーパーフライ級、4団体統一バンタム級。メイン画像中央。左は父の真吾トレーナー。)
  • 井上拓真(WBCバンタム級暫定、現WBA世界バンタム級王者。井上尚弥の実弟。)

らを輩出。(川嶋勝重・八重樫東以外は全員現役選手。)


関連タグ

ボクシング 世界チャンピオン


ガッツ石松…ヨネクラジムの同門の先輩。元ボクシングWBC世界ライト級王者。

鈴木みのる… 同じ横浜高校OBで、イベントを開催するなど親交がある。

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