1974年10月6日生まれ、千葉県出身。
高校卒業後に就職するが、1995年21歳の時に脱サラして大橋ボクシングジムに入門。
ジムの会長は川嶋に素質・才能・センスを全く感じなかった程、当時は酷かったらしい。
実は高校まで硬式野球をやっており、社会人になってからも軟式野球をやっていた。
1997年デビュー、2002年日本スーパーフライ級王者を獲得。
2003年WBC世界スーパーフライ級王者の徳山昌守に判定負け。しかし試合前は練習のし過ぎによるオーバーワークで腰を怪我し、直前になって追い込んだ練習が出来なかったにも拘わらず、あまり差がないような結果だったので再戦のチャンスを組んでもらえたと後年に語っている(本人談)。
2004年WBC世界スーパーフライ級王者を8連続防衛中だった徳山昌守に、わずか1RKO勝ちでリベンジ達成、遅咲きの世界王者となる。相手の徳山は長期防衛による倦怠感と人気が出ない事(人種の違いやアウトボクシングというファイトスタイルの問題)による自暴自棄に陥っていた時期で、一方の川嶋は結婚届を提出するなど相当な覚悟を持って挑んでいた。
2005年3度目の防衛戦で徳山昌守に判定負け、王座陥落。
2006年WBC世界スーパーフライ級暫定王者決定戦でクリスチャン・ミハレスに僅差の判定負け。しかも試合後はベルトを入れていたカバンも盗まれていたという不運があった。
2007年WBC世界スーパーフライ級王者クリスチャン・ミハレスにデビューから初のKO負け。
2008年WBA世界スーパーフライ級王者アレクサンデル・ムニョスに判定負け。
その後に引退。
21歳でボクシングを始め23歳でプロデビューというのは、かなりスローの記録。
現在はボクシングの解説者の傍らで、川嶋の妻が経営するアクセサリー店で職人として修業を積んでいる。