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1983年2月25日生まれ、岩手県出身。


大熱戦になる試合が多い事から、愛称は激闘王。


高校や大学でアマチュアボクシングをしていた時はインターハイや国体で優勝、しかし後年に対戦する事になる五十嵐俊幸アテネオリンピック唯一のボクシング日本代表で、のちのWBC世界フライ級王者)には4戦全敗と1回も勝てなかった。大学卒業後に大橋ボクシングジムに入門。


2005年デビュー、2006年4月5戦目で東洋太平洋王者を獲得。


2007年6月7戦目でWBC世界ミニマム級王者のイーグル京和と対戦するが、顎を砕かれて大差の判定負け。


2011年10月WBA世界ミニマム級王者のポンサワン・ポープラムックに10回TKO勝ちして、岩手県出身初の世界王者となる。


2012年6月WBC世界ミニマム級王者の井岡一翔との世界ミニマム級・団体王者統一戦で判定負け、王座陥落。


2013年4月WBC世界フライ級王者の五十嵐俊幸に判定勝ちし世界2階級制覇達成、アマチュア時代1度も勝てなかったが5回目の対戦でついにリベンジに成功した。


2013年12月2度目の防衛戦で、WBC世界ライトフライ級王者を10度防衛していた名王者エドガル・ソーサに判定勝ちで防衛成功。


2014年9月4度目の防衛戦で元2階級制覇王者ローマン・ゴンサレスにKO負け、王座陥落。


2014年12月WBC世界ライトフライ級王者ペドロ・ゲバラにKO負け、3階級制覇に失敗。


2015年12月IBF世界ライトフライ級王者ハビエル・メンドーサに判定勝ち、世界3階級制覇達成。


2016年12月2度目の防衛戦でサマートレック・ゴーキャットジムにTKO勝ち、防衛成功。


2017年5月王者統一戦で暫定王者のミラン・メリンドにKO負け、王座陥落。


2019年12月IBF世界フライ級王者モルティ・ムザラネにTKO負け。


2020年9月に引退を発表。


2016年12月からプラチナムプロダクションと専属マネージメント・サポート契約を受けている。

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