概要
第33代日本ライトフライ級王者を経て元WBC世界ミニマム級王者、元WBA世界ミニマム級王者、元WBA世界ライトフライ級王者、元WBA世界フライ級王者、現WBO世界スーパーフライ級王者として4階級制覇した。
来歴
1989年3月24日生まれ、大阪府堺市出身。
所属は井岡ボクシングジム・プロフェッショナル、SANKYO、Reason大貴ボクシングジム(現:DANGAN AOKIボクシングジム)を経て、現在はAmbition GYM(現:志成ボクシングジム)所属。またトラロックエンターテインメントとマネジメント契約。
興國高等学校卒業・東京農業大学中退。
人物
後年こそ「お騒がせ」「素行が悪い」という印象が確固たるものとなっているが、プロデビュー当初はその印象が影も形もない優等生扱いであった。
家族
父・井岡一法は元プロボクサーで現・井岡ボクシングジム・プロフェッショナル会長。弟が二人いる。
叔父(父の弟)は第2代日本ミニマム級王者、元WBC世界ミニマム級初代王者、元WBA世界ライトフライ級王者で、井岡ボクシングジム初代会長、元吉本興業所属タレント、現在は井岡ボクシングトレーニングジム(通称:井岡弘樹ジム)の会長である井岡弘樹。
アマチュア時代
高校在学中にはライトフライ級で2年時に選抜大会、インターハイ、晴れの国おかやま国体で優勝し、2005年度アマチュア部門新鋭賞を受賞。3年時も選抜大会、インターハイ、のじぎく兵庫国体の各大会で優勝して粟生隆寛(プロボクサー、元WBC世界フェザー級王者及び元WBC世界スーパーフェザー級王者として2階級制覇。)・大迫亮(元プロボクサー)らに次ぐ史上3人目の高校6冠を達成した。
東京農業大学に進学して北京オリンピック出場を目指したが1年時の全日本アマチュアボクシング選手権大会決勝で敗れ出場を逃す。
翌2008年のキングスカップでは、前年の世界選手権で銅メダルを獲得したタイのアムナット・ルエンロン(後にIBF世界フライ級王者。)に準決勝で敗れたものの、銅メダルを獲得。
しかし。同年の全日本選手権で2年連続準優勝、大学では秋田わか杉国体・チャレンジ!おおいた国体で優勝したものの北京オリンピック出場という目標を失ったため、プロ転向と同時に大学を中退。
プロボクシング
- 2009年1月18日、B級試験のプロテストに合格してライセンスを取得し、同年4月12日に大阪府立体育会館第1競技場でプロデビュー。タイ王国フライ級王者のトンタイレック・ポーウォラシンとライトフライ級ノンタイトル6回戦を行い、3R26秒TKO勝利。
- 同年7月、日本ミニマム級7位の松本博志(角海老宝石)とライトフライ級ノンタイトル8回戦を行い、2R2分59秒TKO勝利を収め、試合後日本ミニマム級8位にランクイン。
- 同年12月、WBA世界ライトフライ級9位・WBC世界ライトフライ級12位の國重隆(大阪帝拳)とライトフライ級ノンタイトル10回戦を行い、3-0の判定勝利。これにより年明けにWBA、WBCともライトフライ級14位にランクイン。
- 2010年4月、WBA世界ライトフライ級13位・WBC世界ライトフライ級13位・OPBF東洋太平洋ミニマム級7位・インドネシアミニマム級王者のヘリ・アモルとライトフライ級ノンタイトル10回戦で対戦。9Rにアマチュア時代を含め109戦目で初めてダウンを奪われたが3-0の判定勝ち。
- 2010年7月、WBA世界ライトフライ級12位・WBC世界ライトフライ級10位としてフィリピンフライ級8位のアルバート・アルコイに9RTKO勝利。この試合以降TBSで中継することに。
- 同年10月、同門の宮崎亮(後のWBA世界ミニマム級王者)が返上した日本ライトフライ級王座をかけ、WBAライトフライ級9位・WBC同級7位として日本同級1位の瀬川正義(横浜光)と王座決定戦10回戦を行い、10R1分57秒負傷TKO勝利。その後、12月に王座返上。
ミニマム級
- 2011年2月、神戸ワールド記念ホールでWBC世界ミニマム級王者オーレイドン・シスサマーチャイ(タイ)に挑戦。5回1分7秒TKO勝利を収め辰𠮷𠀋一郎と名城信男の持つ国内最速記録を更新する7戦目(後に井上尚弥により6戦に更新され、現在は田中恒成がデビュー5戦目で王座獲得し記録更新)での世界王座獲得と同時に平成生まれ初の王者に。この時、観客に4階級制覇を宣言。
その後後2回防衛。
- 2012年6月、WBA世界ミニマム級王者八重樫東(大橋ジム、後にWBC世界フライ級王者、元IBF世界ライトフライ級王者として3階級制覇。)と統一戦を行い、3-0の判定勝ち。これによりWBC王座3度目の防衛ならびにWBA王座獲得に成功。しかしWBA・WBC両団体より今回の試合を王座統一戦として認定する条件として「この試合の勝者は10日以内にWBA・WBCいずれかの王座を返上する事」が義務付けられていたため9日後にWBC王座を、更に上の階級を目指すために4か月後にWBA王座も返上。
ライトフライ級
- 2012年12月、元WBA世界ライトフライ級暫定王者でWBA世界5位のホセ・アルフレド・ロドリゲス(メキシコ)とWBA世界ライトフライ級王座決定戦で対戦。6回2分50秒TKO勝ちを収め、日本人選手最短のプロ11戦目での2階級制覇を達成。3度目の防衛に成功し2014年2月、返上。
フライ級
- 2014年5月、アマチュア時代に対戦経験のあるIBF世界フライ級王者アムナット・ルエンロン(タイ)と対戦したが1-2の判定負け。
- 2014年9月、WBA世界フライ級14位のパブロ・カリージョ(コロンビア)と対戦、判定勝ちで再起。
- 2014年12月、元WBA世界フライ級暫定王者のジャン・ピエロ・ペレス(ベネズエラ)と対戦し、5回2分9秒KO勝ち。
- WBA世界フライ級王者のファン・カルロス・レベコ(アルゼンチン)と対戦、12回2-0の判定勝ちでジェフ・フェネック(オーストラリア)を上回る最速での3階級制覇を達成。
5度の防衛を果たすが2017年11月に返上、2017年12月30日に日本ボクシングコミッションに引退届を受理され、翌日引退。
引退、そして復帰。
引退から約7ヶ月が経過した2018年7月、都内で会見を行い、トム・ローファーが率いる360プロモーションズと契約を結び、パチンコ製造メーカーのSANKYO所属で2018年9月8日現役復帰。
- カリフォルニア州イングルウッドの復帰戦はWBC世界スーパーフライ級シルバー王者マックウィリアムズ・アローヨと対戦し3-0の判定勝利。
- 2018年12月、マカオにて元3階級制覇王者ドニー・ニエテスとWBO世界スーパーフライ級王座決定戦で判定負け。
スーパーフライ級
2019年3月、「Reason大貴」ジムから日本ボクシング界に復帰。
2019年2月にニエテスがWBO世界スーパーフライ級王座を返上。同年6月に、同級2位の井岡と、同級1位のアストン・パリクテ(フィリピン)との王座決定戦に臨む、
- 井岡対バリクテの王座決定戦は、井岡が10回TKO勝利で王座獲得。日本人初の4階級制覇を達成した。
- 2019年の大晦日、WBO世界スーパーフライ級1位の指名挑戦者であるジェイビエール・シントロンを相手に3-0の判定で勝利。
- 2020年は新型コロナウイルス流行の影響で試合が出来ない中、6月にオザキボクシングジムの元会長だった木谷卓也が会長を務める「Ambition GYM」に移籍。大晦日にWBO世界スーパーフライ級1位で世界3階級制覇の田中恒成(畑中)を相手に一年ぶりに試合を行い、8回1分35秒TKOで2度目の王座防衛。
一方で、腕のタトゥーが試合で露出していたことが問題化している。
JBCルール第86条において〈入れ墨など観客に不快の念を与える風体の者〉は〈試合に出場することができない〉と定められており(外国人選手や海外での試合は適用外)、過去にも元極道や元薬物常習者から這い上がった大嶋宏成・大嶋記胤兄弟や川崎タツキ、元WBC世界スーパーフライ級王者で19歳のプロデビューのときにタトゥーを入れていた佐藤洋太(スポニチより)は試合では入れ墨を消してリングに上がっている。(大嶋と川崎は手術で入れ墨を消し、佐藤はファンデーションを塗って試合。)
また2021年4月には複数の週刊誌が大みそかの試合に行われたドーピング検査で薬物反応が検出されたと報道されたが、井岡側は摂取した事実は一切ないとのことである。
- 2021年9月、元IBF・WBOミニマム級統一王者でWBO世界スーパーフライ級2位のフランシスコ・ロドリゲス・ジュニアを相手に防衛戦を行い、打ち合いの果てに12回3-0の判定で3度目の防衛。
2021年11月、記者会見を開き12月31日に大田区総合体育館でIBF世界スーパーフライ級王者ヘルウィン・アンカハスと2団体王座統一戦を行うと発表。しかし12月3日、新型コロナウイ
ルスの水際対策強化による外国人の新規入国停止の方針を受け、アンカハスとの王座統一戦が白紙。
- 代替試合として、WBO6位でWBOアジア・パシフィック、日本の二冠王者(11月までOPBF東洋太平洋王者でもあった)の福永亮次(角海老宝石)に12回3-0の判定で4度目の防衛。