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1981年10月12日生まれ、奈良県出身。近畿大学中退。

弟は空手家キックボクサーK-1に出場した名城裕司。


高校生の時ボクシングを始める。

大学在学中に六島ボクシングジムに入門。


2003年プロデビュー、2004年5戦目で世界ランカーの本田秀信に判定勝ちし、無名の存在から世界王者候補として取り上げられる。


2005年同じ大阪ジム所属で練習も度々一緒に行っていた、日本スーパーフライ級王者の田中聖二(金沢)にTKO勝ちするも、試合後に田中は意識不明の重体となり帰らぬ人となってしまった


リング渦によって名城も1ケ月間、家から出られない程の精神的ショックを受ける。

しかし亡くなった田中の親から励まされた事で立ち直り、11月日本王者の初防衛に成功。


2006年7月WBA世界スーパーフライ級王者マーティン・カスティーリョにTKO勝ち、当時の国内最短タイ記録となる8戦目での世界王座獲得となった。2人分の想いを乗せた拳が世界の頂点を掴んだ1戦ともなった。


2007年5月2度目の防衛戦でアレクサンデル・ムニョスに判定負け、王座陥落。


2008年9月WBA世界スーパーフライ級王者決定戦で河野公平に判定勝ち、世界王者返り咲きとなった。


2009年9月2度目の防衛戦でウーゴ・カサレスと引き分け、防衛に成功。


2010年5月3度目の防衛戦でウーゴ・カサレスに判定負け、王者陥落。


2011年2月WBC世界スーパーフライ級王者のトマス・ロハスに判定負け。


2011年11月WBC世界スーパーフライ級王者のスリヤン・ソールンヴィサイに判定負け。


2012年9月WBA世界スーパーフライ級王者のテーパリット・ゴーキャットジムに僅差の判定負け。


2013年9月WBA世界フライ級暫定王者決定戦でデンカオセーン・カオウィチットに僅差の判定負け。


2014年4月1日付けで近畿大学ボクシング部ヘッドコーチに就任、同時に引退。

2016年、アマチュア資格がないまま試合会場で選手の練習相手を務めたことを理由に、日本ボクシング連盟から試合会場への出入り禁止などの処分を科された。(2018年9月に連盟の体制が変わり、名城の処分を撤回されアマチュア登録が認可)

2014年4月1日付けでで、近畿大学ボクシング部監督に就任。



2007年2月、奇跡体験アンビリバボーで世界王者になるまでの経緯が放送された。

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