1629年生~1668年5月31日(寛文8年4月21日)没
大集団シュムクルに属する小集団ハエクルの長にして乙名(おとな)。
沙流の長ウタフの義弟、チクナシとハルのおじ、ハロウの従兄弟、カケキヨの父。
彼の兄弟がシャクシャインの妻の血縁者と婚姻関係があるため、シャクシャインの遠戚にあたる。
津軽一統誌にカモクタイン討死時(1653年、承応2年)、二十五歳の記録あり。
※乙名(おとな)とは集団の長を指すのと同時に、松前から交易の代表者として付けられた名称。
シブチャリ川下流に拠点を置く大集団メナシクルとは、先祖代々の敵とし長らく争っており、1648年にシャクシャインがハエクルの一員を殺害したことで争いは激化し、双方に多くの死傷者を出したという。
1653年にメナシクルの長であったカモクタインを討ち取るものの、松前が武力を背景に介入してきたことで、メナシクルとは一応の和睦をし、休戦に入る。カモクタインが討ち取られたことでシャクシャインがメナシクルの長、乙名となる。
1662年には猟場をめぐって争いが再燃、1665年に再び松前が介入し和睦する。1665年は松前で藩主の交代があり、松前の政治的意図もあったと思われる。
1667年、ハエクルの一員がシャクシャインによって殺害される。オニビシはシャクシャインに償いを求めるもシャクシャインはこれに応じず、ついには部下を連れてシャクシャインの居住を攻めようとしたところを金山坑首の文四郎が仲裁に入る。
1668年、文四郎とシャクシャインの償いの件で話し合いをし、翌日自分のチャシへ戻る途中、メナシクルの奇襲によって弟二人が殺害されたのを知らされ、文四郎の館に引き返すもメナシクル勢に取り囲まれ、押し問答の末、殺害される。
シャクシャインとのつながり
ハエクル殺害事件が起きるまでは、オニビシとシャクシャインは遠戚ということもあり仲がよかったという。ハエクル殺害事件が起きたのも双方が集って開いた酒宴の中のできごとだった。
金堀とのつながり
オニビシ自身含めハエクルは金堀とつながりが強かったらしい。
シブチャリには3つ金山が存在し、金堀も多く入ってきていたといい、先述のチャシも金山の近くにあった。オニビシは討死前日に金堀の万三郎という人物の館で一泊しており、その前年にはシャクシャインと争った際、金山坑首の文四郎が仲裁に入り、後にハエクル方へついている。
オニビシ討死後は、後継者のチクナシとその母、従兄弟のハロウとがメナシクル相手に弔い合戦を起こし、戦いで負傷したハロウは金堀の覚右衛門に助けを求め、松前山奉行の家来という喜蔵のもとで療養したという。
ハエクルに限らず、メナシクルにも金堀はかかわり、シャクシャインのチャシからは金堀道具のガッチャが出土し、シャクシャインの娘婿となった庄太夫は鷹待という説と、金堀であるという説がある。
松前藩とのつながり
オニビシが、シャクシャインらメナシクルから松前のお気に入りと呼ばれ、後世の一般的見解でも松前の味方蝦夷とされていたが、松前からの意向を受け入れることはあっても何かしらの関係を持ったという直接史料は未だ確認されていない。
彼が討ち取られて以降ハエクルは衰退していくが、松前の味方蝦夷であるはずの沙流のウタフが、松前に毒殺されたとハエクルの間に噂として流れ、対松前の機運が高まり、シャクシャインらはこれらの情報によりハエクルと結束し、後の蜂起へとつなげていくのである。
戦い終結後、オニビシの立場はアイヌの懐柔に利用されることとなり、義経の子孫ともアイヌの神話に登場する文化英雄オキクルミの子孫とも言われ、松前に忠義深い存在として語られていくことになる。これがオニビシの味方蝦夷と言われた発端かもしれない。
戦譚での解釈
孤高の乙名、蜂起の鍵となった男。
シャクシャインらメナシクルとも、松前とも、姉が嫁いで同盟関係があったであろう沙流とも、一定の距離を置いて、つかず離れずの関係を保っていたと思われ、それでいて地元の金堀と交流を持ちつつ武力の高さを持ち合わせていた。
オニビシ亡き後のハエクルがシャクシャインらと結束して蜂起するさまを見ると、そこまで松前寄りの集団ではなかったと思う。むしろいつでも松前に牙を剥けるようにしていたとすら思える。
ハエクルとメナシクルの衝突もオニビシとシャクシャインが、というよりはその下々同士がという印象で、オニビシは戦に長けているものの戦は極力避けていた感がある。
戦譚ではシャクシャインと乙名の立場上対立するも旧知の仲であり、その息子カンリリカとは幼馴染、シャクシャインの娘婿となり蜂起の参謀となる越後庄太夫とも彼のシブチャリ移住時から十年来の付き合いがある親友という位置。
1655年、オニビシはシャクシャインとともに松前へ呼び出され、城下福山において和睦を誓わされる。
そのときにシャクシャインは蜂起に関わってくる後の松前藩家老の蠣崎蔵人広林と、松前軍の総大将となる松前八左衛門泰広と顔を合わせたことになる。胸熱。