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霧島一博の編集履歴2023/06/01 06:51:19 版
編集内容:滅茶苦茶編集につき書き直し

経歴

1959年4月3日生まれ、現在の鹿児島県霧島市出身。最高位は大関

本名は「吉永一美」。

中学校時代は柔道を習っていたが、中学卒業後に元鶴ヶ嶺が親方をしていた君ヶ濱部屋へ入門し、1975年3月場所に初土俵を踏む。

千代の富士と同じく筋力トレーニングを重視した力士のひとりであり、その鍛え上げられた筋肉美から「和製ヘラクレス」と称される程に。1990年3月場所で優勝争いを繰り広げ、場所後初土俵から通算91場所・30歳11か月での新大関昇進が決まった。

1996年3月場所で現役を引退した後は、ちゃんこ店「ちゃんこ霧島」の経営をしながら(1997年より)陸奥親方として陸奥部屋で後進の指導をしている。横綱鶴竜の井筒部屋からの移籍を引き受けたほか、大関に昇進した霧馬山に自身の四股名を継承させた(→霧島鐵力)。

主な記録

  • 三賞8回、金星2個。
  • 大関時代の1991年1月場所で現役時代唯一の幕内最高優勝。この時に史上8人目の3日連続横綱撃破も成し遂げた。
  • 1988年5月場所の水戸泉戦では3回の取り直しとなる名勝負もあった。
  • 小錦とは19勝19敗、北勝海とは6勝11敗、大乃国とは8勝6敗。
  • 天覧相撲では負けた事がなく14戦全勝。

関連項目

力士 大相撲 大関

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