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藤原忠教の編集履歴

2023-06-06 22:00:31 バージョン

藤原忠教

ふじわらのただのり

藤原忠教とは平安時代後期の公卿。

概要

父は藤原師実、母は藤原永業の娘、官位は正二位、大納言

難波家の祖。


プロフィール

時代平安時代後期
生誕 承保3年(1076年)
死没 永治元年10月25日(1141年11月25日
官位正二位、大納言
主君白河天皇堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇
氏族難波家
父母父:藤原師実、母:藤原永業の娘
兄弟師通家忠経実忠教、ほか
源季宗の娘、藤原清綱の娘、ほか
忠基、教長、頼輔、忠兼、師教、親忠、有教、教良、明源、基教、教仁、教智、教覚、寛敒、藤原通季

経歴

応徳3年(1086年)に従五位下、美作守や尾張守などの国司を経て左近衛権少将や蔵人頭などを歴任し、康和2年(1100年)に参議及び従三位になる。後に権中納言、右左兵衛督の二官となり、保安2年(1122年)に権大納言、後に中宮大夫、保延2年(1136年)に大納言となった。


外部リンク

藤原忠教 - Wikipedia


関連タグ

公家 平安時代 藤原北家 難波家

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